8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

恩田陸「ネクロポリス (上)(下)」

 恩田陸さんの「ネクロポリス (上)」と「ネクロポリス(下)」を読みました。

あらすじ

 舞台は、日本でもイギリスでもない架空の国「V.ファー」。双方の文化がミックスされた、奇妙だけど日本とも通じる何かがある近くて遠い、とある国。この国では毎年決まった時期に「ヒガン」と呼ばれる行事が行われる。ヒガンは「アナザーヒル」と呼ばれる、鬱蒼とした森で覆われた小高い丘で執り行われるのだが、驚くことなかれ、この丘では「死者」と交流ができるのだった。生きている人間と同じように、よく食べよく飲みよく喋るかつて死んだ者たち。生きている人間は、その好奇心から、あるいは、今は亡き愛する者に再会しようと、アナザーヒルに訪れるのだった。

 主人公は、日本で文化人類学を専攻している大学院生・ジュンイチロウ(通称・ジュン)。ジュンはV.ファーの親戚の伝手で、この不思議でいっぱいの伝統行事ヒガンに参加することに…。よそ者であるジュンは一体アナザーヒルで何を見聞きするのだろうか…?そして、ジュンが訪れたヒガンは例年とはどうやら異なる雰囲気でもあるようだ。というのも、この年、V.ファーでは猟奇的な連続殺人が何件も発生していたからだ。犯人はまだ見つかっていない。ヒガン中に訪れる死者たち(これを「お客さん」と人々は呼ぶ)は「嘘をつかない」。猟奇的犯罪者の足取りがつかめないなか、既に亡くなった被害者がお客さんとして現れたら…?V.ファーの人々の期待と興奮はどうやらこのあたりにあるようだ。

 長い伝統がある行事だけれど、今年は少し違う。人々の予感は、次々と発生する「異例」な出来事を経て次第に確信に変わっていく。ヒガンは無事に終えることができるのか?「お客さん」は何故アナザーヒルでは存在できるのか?アナザーヒルは一体どんな場所なのか?不思議が不思議を呼び、さらには猟奇的犯罪者の影もちらちらよぎる、ダークファンタジー! 

です。

 

印象的だったこと

とにかく喋るのが大好きな、V.ファーの人々

 V.ファーの人たちは実によく喋る。何でも楽しんでしまう大らかさと、悪く言えば悪ノリも得意な国民性。ジュンがヒガン中共に行動する親戚のハナやマリコ、リンデやシノダ教授も例外ではなく、終始彼らは喋りっぱなしなのである。「この人たちよく喋っているなぁ…」と思うけれど、不思議とその会話の内容を思い出そうとしても思い出せない。会話が空気のように自然なもので流れていってしまうのだ。だけど、物語の世界に浸りながら、彼らの会話に耳を傾けていても不思議と嫌悪感は感じない。誰かを意図的に悪意をもって陥れるとか、そういうじめじめとした印象がないからだろうか。どこまでも乾いていて、さっぱりとしている。V.ファーの人たちの会話は面白い。会話自体の内容が学問的というか、「頭の良さそうな」会話をしているのも要因ではありそうだ。

 

興味深い数々の風習

 この物語では実に不思議な風習が数々存在する。まず「ヒガン」の名前だってそうだ。日本の「お彼岸」を間違いなく連想する名前。他にも、V.ファーが日本とも縁ある国と言うことで、「行列提灯」とか(ここでは共同体の重役に対する抗議として使われる)「ガッチ」という恐ろしい行事とか(どういう風に恐ろしいかはぜひ本文を読んでいただきたい)。「ガッチ」は「合致」から来ている。他にもアナザーヒルに入るヒガン参加者を迎えるは大きな「鳥居」だし、とにかく、明らかに日本ではない西洋の香りを感じる世界なのに、そこかしこに日本文化が入りこんでいる、それが絶妙な配分である、というところに恩田さんのすごさを感じるのである。

 

重なり合っている世界

 物語の後半になるにつれ、じわじわ少しずつだったアナザーヒルの変容のスピードがどんどん増していくことになるのだけど、そこで浮かんでくるキーワードが「世界の重層化」ということかもしれない。こうして普通に見えている世界は、実はいくつものセロファンが重なり合っているもので、私たちは1つのセロファンからでしか世界を見ていなかったりする。忽然と我々の前から消えた人々は、もしかしたらそこにいるのかもしれないのに私たちからは見えなくなっただけなのかも。すなわち、私たちが見ているセロファンとか違うセロファンに移っただけ?云々。

 幽霊だって、今の技術では限られたセロファンしか解明することができないだけで、もっと世界は色々なもので重なり合ってできているのかも。だけど、人はセロファンは1つだけしかないと信じようとする。特に現代社会では。

 

卵(かきたま汁)

 占いに卵を用いているのが面白かった。

 V. ファーでは、占いに卵を用いて、卵がどうなったかによって運勢を知るのですって。そして、面白いことに、占いに使った卵は料理に使ってしまうのです。これも不思議な習慣ですね。日本だと、、、、節分の豆とか同じようなものなのかな。つまり、あれは占いではないけれど、豆は年の数だけ食べますものね。

 物語では、色々あって占いに使われた卵はかきたま汁になったのだけれど、そこまで読んでいる限り西洋の人っぽいハナやマリコたちが「かきたま汁作ったわ~」って言ってみんなで食しているシーンは、ちょっと違和感と賛同したい気持ちで複雑でした。かきたま汁美味しいですよね。私も大好き。

 

黒婦人

 そして、私の印象に残った登場人物は「黒婦人」。彼女は幾度となく男性と結ばれているのに、彼女の夫になった男たちは次々と不慮の死でこの世を去っていく、謎めいた女性。実は夫に遺産をかけて、彼女は自身に寄ってくる男たちを次々と殺めてきたのでは…と噂される女性。疑心が付きまとう彼女は「黒婦人」と人々から揶揄の意味も込めて呼ばれるのであります。

 主人公のジュンは、物語の途中で黒婦人に出会い会話を交わすのですが、ジュン目線で語られる黒婦人ことメアリが、何ともかっこよく見えました。自分の哲学で、自分の意思ではっきりと生きてきたような雰囲気は憧れすら抱いてしまいます。

 

違和感があるものを新鮮な気持ちで

 この物語を読んで今考えていることは「違和感を大切に流さず不思議と思おう」ということです。この話はどちらかというとミステリーでありファンタジーでありホラーであると思いますが、ちょっとわかるけどやっぱり違う世界、が舞台。たくさんの不思議でいっぱいです。この「ちょっとわかるけど」というのがこの本の素晴らしいところで、完全に別の世界って思ってしまうと逆に不思議と思えなくなるのではないかなと思うのです。なんだか「ハリーポッター」と似ていますね。

 あの不思議な魔法の物語があれほどまでに私の心をわくわくさせるのかというと、ダイアゴン横丁はイギリス・ロンドンの片隅に確かに存在しているし、9と3/4線はキングズクロス駅にあるのです。現実世界から全く切り離されていないファンタジーは、「もしかしたら私だって…」という当事者意識を読み手にもたらしてくれる不思議なものなのです。

 この作品に限らず、恩田陸作品に何度も登場する、現実の端っこで存在する不思議から広がったファンタジーは、きっとマンネリ化した日常をちょっと楽しくさせてくれる。だから「およ?」と普段から思う訓練をしていきたいなぁ、なんて思いました。

 

 恩田陸さんの「ネクロポリス(上)(下)」を読みました。

ネクロポリス 上 (朝日文庫)

ネクロポリス 下 (朝日文庫)