高田大介『図書館の魔女 烏の伝言』感想

高田大介さんの『図書館の魔女 烏の伝言』を読みました。

図書館の魔女 烏の伝言

 

 

この本を手にとるのは2回目。

今回も楽しく、ハラハラドキドキ、そしてじーんと感動しながら読むことができました。600ページを超えるので長いことは確かなのですが、全然飽きない。後半になるについてページをめくる手は止まらない。ラスト100ページぐらいはノンストップで読んだんじゃないかな。前作『図書館の魔女』からの読者はどんどん楽しくなってくること間違いなしの展開でした。

 

今回読んでいて最も印象的だったのは、「弁え」です。

 

「弁え」というのは、作品中に度々出てくる言葉ですが、私はこれを「その環境下で生き抜くための知恵や工夫」と理解しています。環境というのは様々で、山で獣をとることを生業としている者や排水溝やら路地やらが複雑に張り巡らされ治安も決して良くなさそうな港町に生きる者、薬草や治癒の知識に明るく人々を癒すことで生きている者などです。

この物語には、普段なら交わらない様々な背景をもった人間たちがあることをきっかけに共に行動し何かを成し遂げる話です。文化も言葉も考え方も違う人たちが、初めは衝突をしたり慣れなかったのに、事が起これば見事な連係プレーを発揮し協力し笑い合っている。どうしてこういうことができるのかと言えば、1つは文化が違っても根っこの「理念」のようなものが同じだったこと、があるでしょう。(どういう「理念」が彼らをつなげたのかは読んでのお楽しみ)

あとは私が先ほど挙げた「弁え」だと思うのです。知識を持たぬものは生きていけない。周囲の情報を収集し、世のルールを理解したものが強い。知らねば、死ぬ。そういう弱肉強食のようなものが大きいのではないか、と。

 

知る、というのは強い。

読みながら私は考えていました。

自分自身が限られた環境下でしか成立しない、「ここだけルール」のようなものに弱い、ということもあります。その道の人は、その道においてはとんでもなく強い。そういうのっていいなぁ...と思うのです。

 

また、前作に引きづつき、「私も聡明な人になりたいな」と思わせる、とても思慮深く頭の良い人物が活躍しているのも良かったです。知性の在り方についても考えさせられました。知性というのは表面的なものではなく、もっと深いところにあって体の奥から湧き出てくるような、そういうものなのでしょう。喋れるから賢い、ということではないのです。

 

この物語には、あのヴァーシャが登場します。前作の最後に、改めてマツリカから名を与えられ生きなおすことになった彼が「自分の名前はヴァシリー、ヴァーシャと呼ばれている」と名乗ったとき、私は不覚にも目が熱くなってしまいました。ヴァーシャ、本当に良かった。マツリカへの献身っぷりと言い、彼は情に厚い人なのだろうなと思います。真っ直ぐな人というべきか。彼は信じる者がいてものすごい強さを発揮する人なのでしょう。

 

 

こういう物語を読んでいると、どんな環境におかれたとしても、どう生きどう振る舞うかは自分で決めることができる、と思うのです。環境を言い訳にしても仕方がない。この物語に出てくるたくさんの強い人たちを見習って、私も強く優しくありたいものです。

命を失った人たちがいたのは悲しいけれど、生き残った人たちには幸せな未来が待っていそうで、本当に良かった。また読みなおしたいと思います。

 

『図書館の魔女 烏の伝言』を読み終えました。