8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

東野圭吾「ガリレオの苦悩」感想

東野圭吾さんの「ガリレオの苦悩」を読みました。

ガリレオの苦悩 (文春文庫)

 

学生時代から比較的長く、かつ、少しづつ本を読んできたけれど、実は東野さんの作品を読みとおすことができたのは初めてだった。東野さんの作品は多く映像化されているし今も継続して本を出されていることがなんとなくわかるし、有名な作家さんだと思う。なのに、今まで読めてこなかった。

大した理由はない。ただ、本を読むということはある種の「タイミング」のようなものが付きまとうような気がしている。本を手にするときはできるだけ「タイミング」に従うようにする。読みたいと思ったら読めばいいし、読まなくてもいいかなと思えば読まなくていいのだ。

 

そんなこんなんでたまたまた手にとった本書は、ドラマ「ガリレオ」として映像化された作品。ドラマを観てから原作を読むことになったので比較的違和感もなく、むしろ映像化のキャストってものすごく上手だったのでは?と思いながら読みました。

また、5編の短編で構成されている本ですが、5本中3本はドラマで見たことがある話でした(←もう2つの「密室る」「指標る」もドラマになってました)。こういうとき覚えているのはまず「トリック」なのだけど、特に、第二章「操作る」の話は演者さんまでよく覚えていました。

 

初めてガリレオシリーズを読んだわけですが、とても読みやすくさくさくと読むことができました。安定感がすごい。本によって重さや文体、内容が違うのは当たり前なのですが、やっぱりその違いは面白いなぁと思いました。この「さくさくと読める」というのも大事なのです。

 

例えば誰かを殺すとき、トリックを用いて捜査を攪乱するのは何故なのでしょうね。とふと思いました。殺すことが目的ではなく、殺した後に自分が刑務所に入らないで済むというところまで目的だからでしょうか。殺せば目的達成でいいじゃないか、とも思うし、「対象者を自分の人生に関係あるところから排除する」のあれば殺す以外にも方法はあるような気もして、しかし、殺すことが一番手っ取り早く、ある意味生物的な行動なのかもしれない。

ガリレオシリーズでは、結果的に偶然にも奇妙な殺人や現象が発生したケースと、犯人が意図して奇妙な状況を創作し事件が解決しないようにするケースの2つがあります。私が言っているのは後者についてですが、だから読みながら「手間暇かかっているなー」と思いました。

 

私も身に覚えがあるのであれですが、人間の衝動を前に理性というのはこうも封じ込められてしまうのか。理性とは衝動を前に無力なのか、と考えざるをえません。難しいですね色々と。

 

 

東野圭吾さんの「ガリレオの苦悩」を読み終わりました。