8月2日の書庫

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高田大介『図書館の魔女 第三巻』感想

今回が何回目の読了かわかりませんが、高田大介さんの『図書館の魔女』を読みました。

図書館の魔女 第三巻 (講談社文庫)

 『図書館の魔女』はハードカバーで分厚い分厚い上下巻を初めて読み、いつかはハードカバーも購入したいなと思いつつ流石にあの分厚さを外出時に読むことは不可能だと判断したので、今は妥協して文庫本を手元に置いています。でも。いつかは。あの分厚い本をこの手に。野望を抱いています。

さて、今まで何度も再読してきた『図書館の魔女』ですが、文庫本だと全四巻。結末は知っているので、私は時々思い立つといきなり四巻を読んだりしています。今回もいきなり三巻を読んでいます。

「なぜ通しで読まない」確かに。『図書館の魔女』は長く壮大で素晴らしいファンタジーであり、1つの物語が始まりから終わりまで一貫して流れているわけですが、部分部分で短編というか色々な事件(主にマツリカ様の言語に関するお話)が起こるわけです。なのでその「事件」だけをピンポイントで読むだけでも楽しいので、私はそう言う読み方をすることがあります。

私は特に第一巻、二巻がお気に入りでして、そればかり読んで後半がお留守になっていたので、今回は第三巻を読むことにしました。

 

読み手が価値を見出す

第三巻はなんといってもマツリカの「声」をめぐる事件がポイントになってきますが、私は禁書についてのマツリカ講が好きです。

図書館でマツリカを支えるハルカゼとキリンという人物。間諜に長け情報通、優しく穏やかで意外に笑い上戸なハルカゼと、類まれなる才女であり軍略に長け実直なキリンは、それぞれ己が得意とするもの以外に大きく関心を寄せる対象を持っています。ハルカゼは石、キリンは蝶、です。今の言葉で言うと、2人は「オタク」的な部分も持つ人物であり、関心事が書かれた図書館の貴重な書籍を業務中に読み耽ってしまうほど。

マツリカはキリヒトとの話の中で、2人が夢中になる関心事を例に挙げ、「本は読む者によって価値が変わるもの」と説きます。キリヒトにとってはハルカゼが大きく関心を寄せる石、水晶の成り立ちや構造はどうでもいいこと。キリヒトが価値がないと思った石に関する書籍は、ハルカゼに言わせればとってもとっても貴重な意味のある書籍、となる。なるほどなぁ...と思います。それこそ価値観の話であり、何を価値とするかは人それぞれ、よって本の価値も人それぞれ。もっと言うと何を価値とするかで、自分は他者から問われているとも言える。お前は一体何者なのだ、と。つまり、どんな本が素晴らしいと考えるかによって、その人の中身が問われるのかもしれない。ううう緊張する。

また、ハルカゼやキリンがそれぞれ石や蝶を愛する、というのもいいなぁ...と思うのです。私も2人のように夢中になれるものが欲しい。何かのオタクになりたいのです。本は違いますからね...趣味であり習慣でありますが、極める対象ではない。

 

そんなことを考えていました。

 

物語が動く巻です。

『図書館の魔女』は、最後は言葉に行き着きます。

「言葉」を扱った上質なファンタジーであり、これを読んだ人とはぜひともおしゃべりしたい。そういう作品です。いいんですよ、本当に。大好きな作品です。

 

第四巻も読もうかな...。そして第一巻も、二巻も読みたくなってきました。何度読んでも飽きない作品です。

 

高田大介さんの『図書館の魔女 第三巻』を読みなおしました。