8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

雨宮まみ・岸政彦『愛と欲望の雑談』感想

雨宮まみさんと岸政彦さんの雑談集『愛と欲望の雑談』を読みました。

愛と欲望の雑談 (コーヒーと一冊)

 短いですし、対談ならぬ「雑談」ですので話が多岐にわたり、逆に言うと収拾がつかないところがありつつ、会話ってそんなものですよね。だから楽しく読みました。

 

いくつか考えたいポイントがあったので、つらつら考えてみます。

 

日本に恋愛は根づいていない

あーーーー。わかる、かもしれない。恋愛が根づいていないのは、恋愛そのものもそうだし恋愛が始まるきっかけ作りには相当なコミュニケーションスキルが必要だろうと。それが日本人の気質に合ってないのでは、とか。

日本では会社とか親族間での「紹介」による出会いが多かったと。今でもそれは変わっていないのだけれど、会社や親族でのつながりが希薄になるなかで出会いも少なくなるわけで、結婚する人も少なくなっているのかしらと。希薄になるってのは、雇用が非正規になったりとかも含め。

わかる...かもしれない。普通に生きていたら結婚なんてたどり着かないんじゃないか、と私自身肌で感じていることなので(出会いなぞ、ない)興味深かったです。

 

文字情報だけでは人は喧嘩する

これもわかる。

文字だけだと、言葉が文脈から切り離されてしまうから。その人の表情とか仕草、声色などありとあらゆるものから総合的に情報を得て自分の中で組み立てていくのだから、文字情報だけでは明らかに情報不足。

 

フィジカル

「身体的な解放感と自己肯定感って僕はすごくフィジカルなものだと思う」というようなことを岸先生がおっしゃっていました。わかる。めっちゃわかる。

 

鬱になったときほど筋トレをしろ、みたいな話が世の中にあるんですけれど、それと近しいものを感じます。

 

ここでは、「あなたの身体が好き」と言われた時に初めて何もせず愛されている実感が沸いた、という話の流れでおっしゃられていたのですが、「顔や体のコンプレックスが和らぐことで自己肯定感が回復する」というのはその通りだと思います。先ほどの「筋トレ言説」だと、身体を動かすことに寄るストレス発散に加えて筋トレにより身体も引き締まり、そのことから自己肯定感も得られるという一石二鳥。

また雨宮さんは、顔や身体の比較は周囲と比べて起こるものが多いのだから、一度その場から離れることも必要かもね、と言ってました。わかるー。

 

 

対談集ならぬ雑談集なのですが、何気ないおしゃべりに社会的な問題などが潜んでいるのがよくわかります。というか全ては私たちの日常の問題なのだから、会話から掬い取り発展させて考えるって大切なことだよなーって思います。一度、「誰かの(女子高校生とか絶対良い)24時間をボイスレコーダーを回し続けて、そこから社会を見ていく」なんて研究するの面白そうだなって思ったりしました。自分が被験者になるのは嫌ですが(笑)

 

 

ということで、面白かったです。

雨宮まみさんと岸政彦さんの『愛と欲望の雑談』を読み終わりました。