伊坂幸太郎『死神の精度』感想
伊坂幸太郎さんの『死神の精度』を読みました。
あの頃の私は馬鹿だった
本の感想は、読むタイミングでかなり変わる。
それは、ここまでなんとなく本を読み続けてきてわかったことの1つだ。感想も経年変化するようで、同じ小説を読んでも中学生の頃と20代の頃とで感想が変わることがままある。それは当然の事といえばそうなのだけど、私は長らく「再読」を面白いと感じてこなかった人間なので、当然の事を発見するのに時間がかかってしまった。以来、私は以前読んでいた本をもう一度読むようになった。
この『死神の精度』は中学生か高校生の時に手にとったことがある。中身は、設定ぐらいしか覚えてなかったし、多分最後まで読み終えることができなかったと思う。その理由は内容を面白くないと感じたのか、文体が合わなかったのか。
そして、10年ぐらい経ち(もう10年!!!)私は同じ本を手にとっている。今回はどうだったか。とても面白かった。手元に置きたい本だと思った。今後も、機会があれば何度も読み返す作品だと確信した。面白かった。
ということで、中学生の頃の私は馬鹿だったと言わざるを得ない。きっと、10年後私が生きていれば20代の私は馬鹿だったろう、と言うだろうが。感想は、不変ではない。変わり続ける。それも読書の楽しみだ。
装丁
装丁、良いです。単行本でほしい。表紙が多分千葉さん(死神)なのだけど、傘を手放しているように見えるのが好き。最後のお話「死神対老女」を読むと、なんとも味わい深い。傘を手放すのは、傘を差す必要がないからかなとか考えると。
死神・千葉の仕事の精度
精度は「精密さの度合い」らしい。死神の精度。どういうことだと考えていた。死神・千葉の仕事の精度、ということだろうか。彼は粛々と業務を行う。彼の業務はつまり、担当する人間を7日間の間調査し、問題がなければ「可」という判断を下す事。「可」となった人間は、8日目に死ぬ。死を実行するのに適しているかどうか判断するのが、死神・千葉の仕事である。
ネタバレであるが、彼は結局彼女に「可」を下さなかった。その根拠はなんだろう。情ではない。それは彼の精度を揺るがすものではない。彼が「可」を下さなかったのは多分これに尽きる。
私は人間の死には興味がないが、人間が死に絶えてミュージックがなくなってしまうことだけは、つらい。
(伊坂幸太郎『死神の精度』 p.22)
彼は、ミュージックを愛してやまなかった、という話なのだと思っている。
人生には面白みがある
死神という人間を超越した存在の視点で進められる物語は、人間の面白み、人間に対する愛しさのようなものを教えてくれた。死を前に人は平等であり、いずれ人は死ぬのさ。どう生きても、どう生きなくても、両者にはさしたる違いはないのではないか。偉人も、悪人も死ぬには違いないし。なんてことを考えた。死神が基本的には平等に仕事をしてくれていて良かった。彼の精度があまりにもブレブレならば、私たちは死すら平等ではなくなってしまうし。
ユーモアも混じっているので、時々ふふふっと笑い、じんわりと感動に身を浸し、死神が出会う人たちのつかの間の人生を読みました。彼ら彼女たちは死んでしまうけれど、悪くないと思いました。
良かったです。伊坂さんは伏線の張りかたが上手で、パズルのピースがハマる快感も味わえます。これからも伊坂さんの本をたくさん読もうと思いました。
伊坂幸太郎さんの『死神の精度』を読み終えました。