宮下奈都さんの『静かな雨』を読みました。
夜に弱い人の人権
「朝に弱いのです」そういう人の存在はたくさん見聞きしてきた。実際に社会で生きているうえでも、朝に弱い人はいる。
逆に、私は夜に弱い。最近は無理やり起きているので夜も起きれるけれど、本来なら日付が変わるまでに起きることなどできない。起きていたとしても翌日必ず体調が悪くなる。できるなら午前中にあらゆることを済ませて、午後はリラックスして過ごしたい。午前中に蹴りをつけるのだ。
夜に弱い人の話は、あまり聞かなかった。記憶に残らないだけかもしれないが、「夜に弱い人」より「朝に弱くて困っている人」のケースのほうが多く見聞きする。体感的には。
だから、主人公の行助がこんなことを言っていたのはとてもうれしかった。
学生の頃から、夜に弱かった。早起きは苦にならない。
あああ~ありがとうございます。ですよね。早起きのほうが全然良いですよね。夜のお誘いは、朝型人間にとっては生活リズム狂うやつだと思うので、これからも積極的に夜に弱いことを公言していきたいと思いました。全然本編に関係ない感想です。
同じ世界だけれど違う世界
「あたしの世界にもあなたはいる。あなたの世界にもあたしがいる。でも、ふたつの世界は同じものではないの」
「あたしたちは自分が知っているものでしか世界をつくれないの」
こよみさんのこの言葉が私は大好きだ。その通りだなと思う。
特に、「自分の知っているものでしか世界を作れないの」という言葉は、これからも大切にしていきたい。
記憶が1日しか保てないこよみさんは、毎日毎日が新しく、更新されることがない。愛すべき人の記憶が1日しかもたない。喜びも悲しみも積もることがない相手を前に、私は絶望するのかしないのか、何を思うのか正直当事者にならないとわからないところがある。行助の喜びや諦めや悲しみを、自分のことのように感じることはできない。
だけど行助は自分で答えのようなものを見つけたみたいだ。こよみさんとどのように生きていくのか。そういう物語だった。
答えのヒントのようなものはこよみさんが言っていたみたいだ。「自分の知っているものでしか世界をつくれないの」。逆を言えば、私の世界は自分の知っているもので作られている。こよみさんの世界は、こよみさんの思い出ではなく、こよみさんが知っていることでできている。
私は誰かを理解できると思えないし、自分が他者から完璧に理解されるとも思えない。この孤独のようなものはずーっと感じてきたことだけれど、こよみさんが言ってくれた。「2つの世界は同じではない」と。世界は違うけれど、知ろうとすることはできるのかもしれない。知ってもらいたいと言うこともできるのかもしれないと思った。
宮下さんの小説には、漠然とした空虚さというかぎこちなさを感じる登場人物たちが出てくる。無かったこと、見なかったことにもできる感情に形を与えるのが宮下さんの書く物語で、少しずつその作品を読んでいる。
今日、やっと『羊と鋼の森』を買うことができた(私の信念に基づいて文芸本で。信念と言ってもその装丁が贅沢で大好きだから文芸本を買う、というだけのことだが)ので読むのが楽しみだ。
宮下奈都さんの『静かな雨』を読み終わりました。