8月2日の書庫

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アーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』感想

アーサー・コナン・ドイルさんの『緋色の研究』を読みました。

ちなみに翻訳物は出版社なども見逃せない点かと思いますので、正確に読んだ本を記載します。今回読んだのは『緋色の研究 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)』です。

緋色の研究 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫)

まずは、ざっとネタバレ無しの感想です。

 

私は刑事ドラマが好きです。サスペンスドラマもよく見ます。だけれど、ミステリはからっきし知らないし読みません。昔、中学生時代に読んだ翻訳物のミステリ小説がとてもつまらなくて、それ以来なんとなく読むのを避けていたところがあります。

が、近年アガサ・クリスティーの小説を元にドラマが作られていたり、私がよく読む米澤穂信さんの小説には古典ミステリを踏まえた小ネタが色々と練りこまれてそうだったので、この年になってミステリに再度挑戦することにしました。

 

そして、まずは手始めに『緋色の研究』から。なんとなく読んだ記憶があるが…果たして面白いのか。

 

面白かった。

 

いや、本当に。びっくりしました。面白かったです。全然面白い。今も十分面白い。多くの人に読まれることに耐えうる、名作だと感じました。話もテンポよく進むこと進むこと。

人類には『カンフー・ヨガ』(映画)を見たものと見ていないものに二分される、というのが私の2018年1月からの自説ですが、更新したいな。人類は、「シャーロック・ホームズ」を読んだ者と読んでいない者に二分される。というのは、言い過ぎではありますが。

翻訳が読みやすかった、というのもあり得そうです。とても読みやすかった。今年はホームズをすべて読み通そうと思いました。

 

 

では、次にネタバレがあるかもしれない感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか『緋色の研究』でモルモン教が出てくるとは思いませんでした。真面目なホームズオタクになったら、世界史とかできるようになると思います。

『緋色の研究』では、「事件が発生して事情聴取していた人の中から怪しい人を探す」というよりは、現場の証拠や状況から犯人像を一から組み立て、何千何万人(当時のロンドンの人口状況は知らないけれど)の中から犯人を見つけてくる、という「ネタバレ」はしても犯人は本当に知らない人なんですよね。何故この人が犯人なのか、ということはホームズの類まれなる知識量と観察眼でもって説明されるけれど、そもそも警察が把握していない人物だし、第一部が終わる時は読者一同「?」となったことでしょう。

そう、この『緋色の研究』ですごいのは、ワトソン博士の回想としてホームズが犯人を捕まえるところまでを第一部。第二部ではうって変わって北アメリカ大陸内陸部の広大な砂漠地帯になるところです。この場面転換のすごさ、当時はどう捉えられていたのでしょう。コナン・ドイルさん、すごい。

第二部に突入し、途端に「?」となる読者はさぞかし多いと思いますが、それは耐えて読んでください。ジョン・フェリアと幼子ルーシーのやりとりとか泣けるものがありますし、その後訪れる、事件のきっかけにもなったある出来事も文化の背景を捉えながら読むとなかなかに興味深いです。悲しい出来事ではありますが。

注釈にて訳者の方だと思いますが、「この物語が書かれた時代と現代では時間が経っていて教義も変わっているので、宗教に対して誤解なきように」みたいな注意が添えられていて、私は「まったくその通りだなぁ」と思いました。

 

謎解きについては、ホームズの言う通りなのであまり言うことはありません。優れた名探偵は、知識量と観察眼、そしてこの2つをつなげる発想力・連想力の持ち主なのだということを改めて考えました。

 

読み始める前は、シャーロック・ホームズという人物は風変わりで癇癪持ち、気分屋で変人、というイメージでしたが、『緋色の研究』を読み限りそこまで奇抜な人間ではないように思いました。現代社会にもいくらでも変な人はいるし、変な登場人物が活躍する物語はありますから。

特に私は、ホームズが「22時までに寝るようだ」とワトソンに指摘されているのがお気に入りです。見間違いかもしれませんが。

さらに気になるのは、ホームズの知識は、自身の職業に特化したものという点。彼は何故そこまで犯罪(というか謎を暴くこと?)に執着するのか、背景が気になります。

 

ということで、いつになっても新しいものを読むということはワクワクしますね。これからたくさんシャーロック・ホームズの本を読みたいと思います。

以上、アーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』を読みました。