8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

それは作られてはいけないジャム/宮部みゆき『昨日がなければ明日もない』感想

宮部みゆきさんの『昨日がなければ明日もない』を読みました。

昨日がなければ明日もない

 "ちょっと"どころじゃない困った女たち

ちょっと、ちょっとちょっと。とツッコみを入れたくなる帯なのだけれど「"ちょっと困った"女たち」というのは嘘です。ちょっとじゃないです。だいぶ困ってます。

これは帯がフランクすぎるなと思いました。このテンションで読むと劇薬飲みます。そこがこのシリーズの良いところであり魅力でありしんどいところなのだと思いますが。

《杉村三郎シリーズ》第5弾。今回は「絶対零度」「華燭」そして表題作の「昨日がなければ明日もない」の3つの短中編が収録されています。

 

本を買う醍醐味

本をたまに買うとき、私はとても嬉しくなります。その本がずっしりと重たく分厚ければ分厚いほど。純粋にたくさん私は本を読んだな…という気分になって嬉しいのと、どっしりとした重さは「本」という物体を味わうのに良いからです。物語を表す表紙のデザイン。ページの質感。フォント。余白。しおりの色。たまりません。本を購入したということは、それはすべて私のもの。他に手に取る人のことなんて気遣わなくていい私だけの本。そういう「所有欲」みたいなものが、私の心の奥深くどこかにはあるのです。

『昨日がなければ明日もない』は黒の表紙にどちらかと言えば淡くパステル調に近い緑色のフォントの色が印象的です。この色、表紙を取り外した本体にもしおりにも使われている色です。統一感があっていいですね。

 

絶対零度

どうしようもない「悪」がそこにはありました。とっかかりは「自殺未遂をして消息を絶った主婦」という、まあ謎ではあるのだけれど夫婦間のトラブルでしょう(もっぱら「夫の浮気で精神を病んだ妻が自殺未遂をしたけれど夫はそれがバレると体裁が悪いから妻を人目につかないところへ隔離した」とかなんとか)で済むはずだったのに、事態は思わぬ方向へ、という話です。

こうして悪意に私は幸い出会ったことがないように思います。出会わないように多分全力で避けて逃げているのでしょう。私はそこで考えます。ここで描かれている「悪意」は「悪意」じゃないのかもしれません。他人に対する悪い感情。何か悪いことをしてやろうという意思。それが無い「悪意」であるならば。ここで登場する「悪意」はもはや悪いことだと自覚していない悪意。とてもたちが悪いです。

杉村さんだからここにたどり着けてしまう。本来なら警察の取調室で語られて各種媒体を通して色々な人が部分的に都合が良い部分しか知らないで済む真相を、優しすぎて行動力も突破力もあって結果的に突き進んじゃう杉村さんだから全部知ることができてしまう。警察の人でもないのに。読者は杉村さんの背中にぴたっと張り付いて、そういった残酷な真実を知ることができてしまうようです。

この悲しさを世界から取り除くにはどうすればいいのだろう。こんなことが起こらないようにするにはどうすればいいのだろう。

私は適切な解決策を思いつくことができません。

 

「華燭」

幸せになってください。それしか言えないです。「ビッグマム」という強くて頼もしい人がいるのですが、あの人がいて良かったと思いました。杉村さんは訳あって「竹中さん」という地主の家の一部を間借りして探偵業をしているのですが、その竹中さんの奥様が「ビッグマム」と呼ばれています。強い。竹中ファミリーは総じて生活感があるのに普通の人たちじゃなくて、でもまともな思考をする人たちだから安心します。

 

「昨日がなければ明日もない」

あなたはここまで追い込まれるべきではなかった。追い込まれる必要がなかった。そう思います。大変だったでしょうけれど両親がフォローするべきだったし、問題の張本人は良い大人なのだから放っておいて良かったはずです。娘である漣ちゃんの兆候を見ると、悪とはあのように伝染するものなのだな、と悲しくなりました。悪は伝染する。でも断つこともできるはず。伝染するのは容易く、断つことは難しい。どうすればいいかわかりません。

「自分の昨日を一度だって選べたことはなかった」という言葉が、胸に刺さります。それでも「選べたはずだ」と彼女に迫ることは暴力なのかもしれないなと思いました。「じゃああなたが選べるように、私が支えるから」という人がいればよかったのかな。私は誰かのそんな人になれるだけの強さと優しさがあるのかな、と考えました。

 

悪を煮詰めたジャム

ここにあるのはコトコト煮詰められた悪意ばかりだ。
最初はここまで濃くなるはずじゃなかったのに、放置して時の流れに任せていたらどんどん手に負えなくなっちゃった悪い気持ち。そういうものばかり。「華燭」はまだ全然軽度できっとこれから少しずつうまくいくのだろうという予感があって救われる思いだけれど、それ以外は取り返しがつかないほど煮詰まってしまった悪い気持ちだ。

誰かが少しずつ何かをしていたら、こんなジャムは作る過程で失敗に終わって「ああマズイね」「本当に」「こんな素材でジャムを作ろうと思っちゃだめだよ」「次はちゃんといちごで作ろう」とかなるのかな。わからない。私はそんなジャムを作らないように。ジャムづくりの現場に立ち会ったら身の危険が及ばない範囲でその製造現場を邪魔してやろう。

 

宮部みゆきさんの『昨日がなければ明日もない』を読み終わりました。