8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

綿矢りさ『勝手にふるえてろ』感想

 綿矢りささんの『勝手にふるえてろ』を読みました。

勝手にふるえてろ (文春文庫)

 

 この本は、一度読むのを挫折した本。そういう本結構あります。私はもっぱら図書館で本を借りて読むので、返却期限が差し迫っているなか読み終えていない本は返却しなければいけません。なかなか読めない文章あります。すっと頭に内容が入ってこない本。なんだかんだ本を読んできたので、そういう時は「仕方がない」と割り切り読む切るのを保留にします。また気が向いたときに手に取りチャレンジしなおすのです。

 でもこれは読書歴が長いからこその発見だったのですが、昔読めなかった本が年を経て読めるようになるってこと、あるんですねー。ほんと不思議。内容がわかるから読めるのか、文章の癖がさほど気にならなくなったのか。だから別に読めないことで落ち込まず、また気分が乗ったときに読めばいいです。

 ということで、前振りが長くなりました。『勝手にふるえてろ』昔は読めなかったけれど読めました。

 

 面白いですよね。最近、文学ってのは言葉からの解放、その極地は詩、ってことを読み、「ほー」となっていたところです。綿矢さんの本は他にも昔読んだことがありますが、また読んでみようかな。『勝手にふるえてろ』も最初の数ページの言葉の並べ方、音の繋がり、テンポがすごく好きで。ここだけコピーして配りまわりたいくらいに好き(駄目です)。

とどきますか、とどきません。(p.7)

 これ小説の冒頭。くぅーーーーーーってなります。とどきますか、とどきません。漢字でもカタカナでもなく平仮名ってところが、楽しい。

 

足るを知れ、って言いたいのかって?ちょっと違う、足らざるを知れって言いたいの。足りますか、足りません。(p.9)

  文庫本、7ページから9ページは必読です。

 

 内容は、共感できたりイラっときたり。この良い意味で感情が粟立つことこそ、この本のパワーでありここまで読まれてきた中身なのだと思います。非常に読むのが難しかったです。

 共感した、といえば。主人公のヨシカと自分は似ているところがある。妄想が突っ走っちゃったりオタクっぽいところがあったりその他似ているな、わかるな、と思うところたくさんあります。でも私はヨシカほど夢中になれないところもあって、人間を無防備に心底好きになることなんて今のところ無かったりする。だからこの物語の軸となる「妄想恋愛相手のイチと現実世界で自分に恋心寄せる二との板挟み状態」はちっともわからない。

 ヨシカから見た、というフィルターを通してしかイチも二も我々は見ることができない。二について序盤はかなり辛辣な評価をしているけれど(多分それは当たっているところはあると思う)ちょっとヨシカ、あまりに辛辣すぎない?って思ったりもして、そこがイラっときたポイントかもしれない。まあ、まったく関心がない相手に言い寄られても嬉しくないっちゃ嬉しくないだろうけれど。ばっさり二を切っちゃうのが誠実だろうに、そこをキープしてずるずるしちゃうってところが、この物語の肝なのかなーなんなのだろう、と考えごとをしたりしました。多分私のそれは、二のように自分に関心を持ってくれる相手なんて滅多にいないのだぞヨシカ!というやっかみがあるのでしょうねお恥ずかしい。

 この本はそうやって、読む人間によって感想が大きく変わるし、それは個々人の価値観と結びあっている。ぼろぼろと剥がれたむき出しの本性を引きずりだしてくる話なので、この本を読んだ人と読書会とか軽いお喋りをすると楽しいかもしれませんね。きっとまた何年か経った後に読むと感想が変わってくる本だと思いますが、文章にいっぱいいっぱいでしばらくは遠慮しようかなぁ…と思います。

 

 綿矢りささんの『勝手にふるえてろ』を読み終わりました。