8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

吉田篤弘『金曜日の本』感想

 吉田篤弘さんの『金曜日の本』を読みました。

 

金曜日の本 (単行本)

金曜日の本 (単行本)

 

 

 吉田さんのエッセイ2冊目!

 吉田さん自ら装丁も手掛けていると思うのですが、それも素晴らしいです。このエッセイは短い話が集まってできているのですが、普通に読んでいるとそれぞれの話の区切りを意識させない作り。

「小説とあとがき以外の見出しは本文中にはありません。見出しの代わりに*をひとつ目印として入れました。」

ということで、読んでいると今自分が読んでいるのがどの見出しか意識しづらい作りです。あとで目次を読んで答え合わせみたいなものをしたのですが、うーん、面白い。この構成にはどういう意図があるのだろうと考えてしまいました。

 私はたまたまこの本を金曜日に読み終わったのですが、金曜日にこの本を鞄に忍ばせていて良かったな、と読み終わった後に思いました。そういう本です。

恩田陸『祝祭と予感』感想(再読)

 恩田陸さんの『祝祭と予感』を再読しました。

 

祝祭と予感

祝祭と予感

  • 作者:恩田 陸
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2019/10/04
  • メディア: 単行本
 

 

 やっぱり装丁が好きだ。今作は『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ的な作品で『蜜蜂と遠雷』の前と後を描いている作品。2段構成でたっぷりと書かれた前作とはうってかわり分量が少なく余白を味わう作品かなぁと思いました。ちょっとしたことで、結構じーんとくるんですよね。特に好きなのは、亜夜の友人でありお姉さんのような奏が自分のヴィオラと出会うまでの話。楽器と対面したときのことが、喜びと同時に絶望を交えて描かれているのが印象的。そこから広大で道が無く人も皆無の荒野が広がるような、そういう寂しさを感じました。奏ちゃんがどんなヴィオラ奏者になるのか気になります。それに納得のいくキムチチゲを見つけるために凝っている奏ちゃんがすごく奏ちゃんなのだろうなぁ…前作ではあまり奏ちゃんのパーソナルなところは描かれていなかったからこの発見もまた興味深かったです。私はどうでも良くて美味しいキムチチゲを作ろうと試行錯誤をすることはないと思うので。

 

恩田陸『祝祭と予感』感想 - 8月2日の書庫

 

感想書いていたのを忘れていた。また何度読んでもそのたびに感想は書きたいからいいけど。

彩瀬まる『神様のケーキを頬張るまで』感想

 彩瀬まるさんの『神様のケーキを頬張るまで』を読みました。

 

神様のケーキを頬ばるまで (光文社文庫)

神様のケーキを頬ばるまで (光文社文庫)

  • 作者:彩瀬 まる
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2016/10/12
  • メディア: 文庫
 

 

 人と人の視線が交わったり、すれ違ったり。その人が考える自己像と他人が見るその人のズレがどうしても存在していて、この小説ではそこがメインではないかもしれないけれど時々描かれるそのズレに、少しだけドキッとした。これってとてもグロテスクなものじゃないかなぁ。そして私は「ズレがある」という視点を持てていないのかもしれないなと思うことがある。日々生きていて。

 5つの短編から構成される話です。どの話もそれぞれ好きになれるところがありました。一番印象に残っている話は「塔は崩れ、食事は止まず」でしょうか。彩瀬まる作品、時々他人にも自分にも厳しいあまりちょっとクズっぽくなっちゃう人物が出てくるところが気になる。他人事ではないし、なんだろう、切り捨てられない愛おしさのようなものを感じる。

吉田篤弘『神様のいる街』感想

 吉田篤弘さんの『神様のいる街』を読みました。

 

神様のいる街

神様のいる街

  • 作者:吉田 篤弘
  • 出版社/メーカー: 夏葉社
  • 発売日: 2018/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

 仮に私が自分の本を作るなら、これぐらいのサイズでこんなデザインがいい、だって厚すぎもせず薄すぎることもないしパッと手に取ってスッと鞄に入れることができるもの。装丁の時点で好きだと思えるエッセイでした。

 吉田さんの著作は実はこれが最初なものだからそれは勿体なかったなと思うのだけれど、神保町と神戸、ふたつの「神様のいる街」の話はさらっと読める中に、じんわりとくるものがあった。特に神保町での本との出会いの話とかは。終始静かなところも気に入りました。

江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』感想

 江國香織さんの『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』を読みました。

 

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (集英社文庫)

薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木 (集英社文庫)

 

 

 「それ間違っているよ」と言うことは容易い。でも、それはあまり意味がないことのように思う。例えばその人が自分としては苦手で、嫌いで、それを表明するために用いても仕方がないじゃないの、ましてやただ相手を貶めるためだけに、それすら存在しない「それ、ちょっと違う」は、なんだかぼんやりしている。

 江國作品を読みながら思うのは、これは世間一般からしたら眉を顰められることなのかもしれない、ということだ。もちろん江國作品に共通する何かを好ましいと捉え手を伸ばす人たちはたくさんいるだろうし、なんとなく女の人はよく読みそうだな、とも思う。問題は人々が眉を顰めることの方であって、それは何と照らし合わせてなのだろう。常識?道徳?つまりはあなたの価値観?じゃあ、どこがどう違うのか、何が問題なのか、正々堂々と言ったらいい。私はそれを読みたい。

 私は、本を読みながら眉を顰めることはあまりない。ピンとこなくても、それは私が単純に「知らない」だけだと思うから。私の考えと本の中で流れる思考と、それを比較することはあれど優劣をつける必要なんてないし、理解する必要もない。本を読みながら何を好ましく思い、何を嫌悪するのか。考えるきっかけがそこにはあって、そうやって、私は自分と自分以外の世界を少しずつ知っていく。

 『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』はたくさんの章で構成されていて、それを並べていくと四季を一周していることに気づく。読んでいるうちは実のところそのことに気がつかなかったけれど。それもまた面白い(四季はなかなか可視化されない。意識しないと)。たくさんの人たちが登場し関係性を整理するのは難しいけれど、カメラをバチっと切り替えるイメージで読んでいく。一番は桜子の心情の変化ではなかろうか。この人が物語にぽっと登場した時、「危なっかしい人だ」と思った直感は最後まで外れることがない。危うく、脆く、だから目が離せない。人間は何と勝手なことを考え日々生きていくのか。魚が回遊するがごとく、止まることがない人間の心情を楽しめる作品だと思います。これはそのうち買わないと(図書館で借りたので)。

小川洋子『博士の愛した数式』感想

 小川洋子さんの『博士の愛した数式』を読みました。

 

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

  • 作者:小川 洋子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/11/26
  • メディア: 文庫
 

 

 小川さんの小説をこれまでたくさん読んできたわけではないけれど、まったく読んでないわけでもない。そんな読書経験から感じてしまうのだが、この『博士の愛した数式』というのは、なんというか「読みやすい」。

 小川さんの本は、いつもどことなく「不穏」だ。具体的に何が?と説明するのは難しいのだが、例えば「死」とか「老い」とか、社会からちょっと外れてしまった人たち、静謐な物語でありながら、狂気がそこには確かにあって、しかしその狂気が暴発するわけでもなく淡々と進んでいく。だからこの本には、なんというか「毒」が無いと思う。というのが個人的な感想なのだけれど(個人的でない感想などあるのだろうか?)読み終わってぱたんと本を閉じたとき、不思議な充実感が胸に広がって、しかもその充実感は数日経つと消え去って「充実感をおぼえたはずだ」という根拠のない自信だけがそこには残っている。だから何度読んでも初めましてになりそうな小説です。もちろん好き。

 「私」が生活する人ってのが良いと思う。博士が言っていたと思うのだけれど「君が料理するのを見ているのが好きだ」と。読みながら「私」が履くスリッパがパタパタと床を鳴らす音が聞こえてくるよう(この人は幼いころから家事をせざるを得なかった人だから、きっと要領よく家事を進めることができる人だ)。私も、なんというか、人が生活していくことに、秩序やこだわり、ハッとする強さを見つけるととても嬉しいし勇気づけられる。この小説はその嬉しさと数の世界の深淵が共鳴してパッと光る作品だな、と思います。

 またこの本の存在を忘れたことに読み直して、何度読んだって心が温かくなると思います。

村上春樹『カンガルー日和』感想

 村上春樹さんの『カンガルー日和』を読みました。

 

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

 

 

 長いので割愛しますが「100パーセントの女の子」の話をもう一度読みたくて買ったような気がします。「~ような気がします」というのは、この本がいつから私の本棚にあったのか記憶が無いからです。年末にわずかではありますが、手持ちの蔵書を整理して段ボールの奥に入っておりました。

 少しやけて茶色がかったページがそれはそれで愛おしく思える、電子書籍では味わえない「もの」としての本です。

 例の「100パーセントの女の子」の話は、いつだったか確かに教科書に載っていたと記憶していて、私はそれを読んだ覚えがあります。ではないとこの本を読もうとは思わなかったはずですから。特別感動したとかそういうことではないのですが。これが村上春樹さんの文体なのか…と思ったような気がしています。それから私はエッセイを一冊読んだきり、村上さんの著作とは縁がない人生でした。

 しかし、村上さんの文体は、そのたった一冊の本(と100パーセントの女の子の話)で痛烈に私の中に爪痕を残したように思います。文体ってなかなか説明するのは難しいのですが、なんというか、私は村上さんの文体をどうやら「好ましく」感じているようです。

 透明な読後感。この『カンガルー日和』を読み終わった後に感じたことです。さらっとした読後感だな、と。私にとっての村上春樹は、今のところそんな感じです。小説の主人公に共通する「内省的」という点も、この短編において、自己のアイデンティティについて言及したドロドロとしたものではなく、「どうしてなんだろう?」という外界に対するわからなさを出発点としているような気がしていて、それが「さらさら」の理由なのではないかと思います。よくわかりませんが。

 

 2018年は伊坂幸太郎、2019年は彩瀬まると江國香織、2020年は果たして村上春樹の年になるのでしょうか。(年単位で新たにハマる作家さんが現れるのです)