8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』感想

 アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を読みました。

そして誰もいなくなった (クリスティー文庫)

 

 ぐうううううう。夢中で読んでしまいました。今年から始まった(別に意図的に始めたわけではなく、クリスティー面白いじゃんと遅ればせながら気づいた2020でした)クリスティーを読もうチャレンジ、実はこの作品はまだ読んでいなかったのです。まあ「読みたい!」と思ったときが一番の読み時、という考えなので(そうでなければ本を読むことはできません。悔しすぎて)さて、読みましょう。わくわく。

 

 面白かった…。本当に夢中で、一日でがーーーーーーっと読んでしまいました。面白すぎだよ。

 クリスティーの作品は、謎解きモードになるととても潔くて実にスピーディーに物事が進んでいく気がするのですが、この本は最初から終わりまで実にテンポよく、あっという間に進んでしまいました。無駄がないです。

 私はこの話に一番近づいたのは、2017年かな?テレビ朝日で放送されたドラマでした。以前から噂には聞いていたけれど、ああ、本当にそういうことだったんだ、という核心に触れ、ドラマの素晴らしい出来(豪華キャストの熱演!)に痺れた記憶があります。でも、できることなら、ドラマを見ずに、また悪意なきネタバレの嵐に襲われることなく、小説でこの作品をまずは知りたかったですよね。本当に、本当に、それが残念です。だから、まだこの話の結末を知らない人は、どうか私の感想を読み進めることがないように。よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、その人が犯した罪は、その罪に直接かかわる人たちと罪を犯した本人が知りえることであり、裁くのは特定の職権を与えられた人たちに限る、という考え方です。原則はそうです。でなければ(例えば私刑などが許されるのであれば)長きにわたって積み重ねられてきた人類の営み(法とかそういうもの)が無駄になるからです。何故人は何もないところから法というものを作ってきたのでしょう。

 ということで、このウォーグレイヴ判事の振る舞いは許されることではないし、本人も「法の番人」という立場ではなく、殺人芸術家として自らの計画を実行したようです。許されようとは思ってないでしょう。私は、この話は殺人事件であり、9人(つまりウォーグレイブ以外に島に招かれた人たち)の人たちが犯した罪によるもの、身から出た錆、自業自得だとは考えません。本人たちが罪を認めていなかったとしても。

 このあたり、ウォーグレイヴ判事は面白くて、元判事としての立場であれば、己の犯した罪を認めさせたり悔い改めさせようと、それぞれに強く迫ることをしたでしょうに、あくまで自分が立てた計画を粛々と実行するのみ。余計な脅しはかけないし、多分他の招待客への軽蔑とか怒りとかもなかったのではないかなと思います。もう正義の名のもとに人々を裁く判事の心ではなく、人を追い込み殺めることを楽しむ殺人鬼の人格の方が強くなってしまっているからです。

 

 私はこの話が好きです。特殊な状況下に置かれた10人の内面の揺らぎを丁寧に追うのは刺激的です。しかし、同時に救われない話だなとも思います(人が死ぬ話はそういうものかもしれませんが)。今この本を読んだ私の中に残る教訓としては、老いというのは恐ろしいということです。理性と本能。これらをコントロールする力をどうすれば維持できるのでしょうか。ウォーグレイヴ判事の頭の中で起こったことは、程度の差こそあれ、人間ならば誰でも起こることではないのでしょうか。

吉田篤弘『月とコーヒー』感想

 吉田篤弘さんの『月とコーヒー』を読みました。

月とコーヒー (文芸書)

 

 めっちゃ面白かったです。

 この「面白かったです」ってすごく難しい言葉で、他の人が使っている「めっちゃ面白い」と温度が違うかもしれないです…。吉田さんのお話はすごく優しい話が多いと思います。展開的に面白いとか、ハラハラドキドキするとか、様々な視点や状況が交錯して混沌を極めて…とかそういう面白さじゃないんです。この本そのものが面白い、とてつもなく面白い、私はそう言いたいのです。

 装丁が素敵です。クラフト・エヴィング商會さんのデザイン。本のサイズも、両手より少し大きいくらい。文庫本よりもちょっとだけ大きい?そしてとても分厚いです。あとがきにもあるように、寝る前に一篇だけ読まれるような、そういう本です。所有する欲を満たしてくれる本。絵は挿し込まれていないけれど、どこか「絵本」のような、そんな本。

 そして毎回「食べ物」が登場するのも私好みの本でした。食べ物が好きなんですよねどうしても。映画でもアニメでも漫画でも多分、何かを食べるシーンや料理するシーン、食材を買うシーンは好きなのだと思います。それはきっと誰にとっても身近で、その人らしさを色濃く表れる部分だから。

 また先ほどもちらっと出た「あとがき」が素晴らしいです。あとがきが素晴らしいと思ったのは、今年だと江國香織さんのこの本以来です。

dorian91.hateblo.jp

 私も月とコーヒーが好き。この本は図書館から借りて読んだ本ですが、いつかきっと手に入れなければなりません。

恩田陸『隅の風景』感想

 恩田陸さんの『隅の風景』を読みました。

隅の風景

 

 「まだ読んだことない恩田作品あるってよ」ということで、恩田さんの紀行エッセイを読みました。

 こうして読んでいると、恩田さんというのはインプットの量がすさまじい人なんだなぁ…と驚くばかりです。また何度も言うように情景からパッと物語が浮かぶ人というイメージ。そして食と酒を愛する人

 今年の三月ぐらいに思い切って東北本線を北上する旅をしたのですが、そこで感じた「移動する時点で意味がある」ということを思い出しました。行くまでの過程で既にお腹いっぱいという気分になったな、と。つまらないわけがない。つまらないと思うのであれば、私の目が曇っているだけのことなのかなと思うことがあります。ただ街を、町を歩くだけではなくて、そこには何かしらの発見があると思うのです。そのこと、私は私以外の人の紀行文を読むことで忘れないようにしたいと思っています。

 コロナ禍でなかなか旅をする気分にもなれないし、実際難しい状況が続きますが、ごく身近な部分でも、私たちは発見を得ることができるだろうと思いたいです。

ベルンハルト・シュリンク『週末』感想

 ベルンハルト・シュリンクの『週末』を読みました。

週末 (新潮クレスト・ブックス)

 

 新潮クレスト・ブックスを片っ端から読む、みたいなチャレンジをしているわけではないですが、図書館の開架をめぐる中で一つの判断基準にはなる。今回も新潮クレスト・ブックスから。

 まず表紙がいい。たまらない。初読みの作家ベルンハルト・シュリンク。『朗読者』?という話が有名らしい。そちらはまだ手に取れていません。機会があれば手に取りたいと思っているところです。

 恩赦で釈放された元テロリストのイェルクが、自身の姉や旧友たちと過ごす週末の物語。イェルクだけでなく様々な視点で丁寧に描かれていきます。

 正直最初は読み進めるペースが遅くて「これは読み通せず返却するパターンか?」と思ったわけですが、次第に波に乗ってきてトントンと読むことが出来ました。初めて読む作家さんはまず文体に慣れるところから始まるのですよね、楽しい。昔はもっと読み終わることが出来ない本も多かったけれど、自分の中で「この作品は何を言いたいのか」ということを気にしなくなってから完読率も上がったような気がします。言いたいことがスパッと言えないからこそ小説を書いているだろうと思って、そこは割り切っています。途中の描かれ方がひたすらに好き、みたいな小説も多いですし。

 元テロリストの旧友がいたとして。私ならどうしたでしょうね。テロ行為次第にもよるのかな。例えば大義名分は?彼や彼女のテロ行為による被害は?冷戦下のテロと、21世紀のテロでまた内容は変わっていくし、私はテロを厳密には知らない世代なのでしょう。幸運にも。

 この物語でイェルクは赤軍のテロリストだったと記憶していますが、ある登場人物の視点でまったく別のテロ行為、世界同時多発テロも想起させる描写があります。イェルクは世界同時多発テロとは何ら関係ないですが、同じテロという単語で繋がるふたつの事件、ふたつの時代、加害者目線、被害者目線の交錯みたいなものが、読んでいて一番印象的だったかもしれません。

 あとは庭の描写ですね。庭に雨が降る描写がとても印象的でした。実際に彼ら彼女らが終末を過ごす場所を想像しながら読むと、また楽しかったかもしれませんね。私は物語を追うので精いっぱいになっていたのでその点は勿体なかったかも。

金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』感想

 金原ひとみさんの『パリの砂漠、東京の蜃気楼』を読みました。

 

パリの砂漠、東京の蜃気楼 (ホーム社)

 

 「めちゃめちゃ良い」という言葉を使うことが躊躇われる。でも、めちゃめちゃ良かったのだ。何が良かったか?そんなの知らない。

 夢中で読んだ。著者の様々な感情が文章からひしひしと伝わってくる。私と同じ、私とは違う、そんなの関係ない。そこにある生々しい生の気配に私はただただ圧倒されながら読んだ。人はこれほどのことが書ける。いや、逆か。これほどのことを書きだしてしまえる人がいるということ。著者にとって書くことは生きることに欠かすことのできない、ぺったりと生に張り付いた営みなのだろうと思いました。

 今年はいわゆる異国と自分の国を横断する人、両国の挟間で生きる人の本を手に取ってしまう年のようで、金原さんの『パリの砂漠、東京の蜃気楼』もそのカテゴリに入れることはできると思う。日本とフランス。異なる国を捉えたエッセイ。しかし同じカテゴリに括ることはできるとはいえ、内情は様々だと感じた。私は異国への憧れと恐れを天秤にかけると後者の方が勝ってしまう人間なのだが、初めて外国へ行きたいと思った。

 あと装丁がやっぱり好きだ。目次がパリと東京それぞれ分かれていて、フレンチのコース料理のメニューみたいになっている(知人の結婚式場でこんな紙が円卓の上に置いてあるのを見た)。パリ編は章の名前がカタカナで意味がわからないものも多いのだけれど(なにせフランス語なので)東京編になると、全部知っている言葉が並んでいるのが面白かったな。

 

 

津村記久子『浮遊霊ブラジル』感想

 津村記久子さんの『浮遊霊ブラジル』を読みました。

浮遊霊ブラジル

 

 津村さんの話が好きだ、と感じる。そんな短編集だった。

 津村さんの話、そこまで読んでいない。片手で数えられるほどか。でもこれからはもっと読んでみよう。多分学生の頃では感じえなかった世界があるから。私はその世界に足を踏み入れているのだから。

 特にコルネさんの話に震えた。なんて美しい話なのだろうかと。説明されすぎず、どうしてこのように書くことができるのだろうか。うどん屋の店主の絶妙な描かれっぷりに唸るし。ポイントは「嫌すぎない」というところだ。多分このうどん屋店主の振る舞いを気にしない人もいる。何故コルネさんは嘘をついたのか、わからない人もいるだろう。でもわかる人には本当に身につまされる話だと思う。コルネさん嘘をつきながらも、何度もうどんを食べに来たんだね。それぐらいこのお店のうどんが美味しくて(本当に美味しそうな書かれっぷり)そして、うどんしか食べたくないと思うぐらいに毎日擦り減らされているのだ。

 ユーモアと日常と不思議。それらがミックスされ独特の読後感になるのか津村作品の特徴の一つと言える。日常は大変だけど、面白くないものでもない。そしてやっぱり大変だ。

ミランダ・ジュライ『あなたの選んでくれるもの』感想

 ミランダ・ジュライさんの『あなたの選んでくれるもの』を読みました。

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

 映画の脚本の執筆に行き詰った著者が、フリーペーパーに売買広告出す人々を訪ね、話を聞き始め、その内容をまとめたフォト・インタビュー集。

 プロの写真家の方なのだろうけれど、差し込まれる写真一つひとつがとても鮮やかでハッとさせられます。白と黒の活字を夢中で読んでいる中、ぺらりとページをめくった先に広がる写真の世界。どれも素晴らしかった。こんな風に文章と写真がミックスされた本が私は大好きだ。紀行文とかに多い。私の好みは、写真に対して文章が多め。カレーライスは、ルーとご飯の比率が2:8くらいでいいのだけれど(だから市販のレトルトルーのルーの多さには辟易する。もちろんレトルト「ルー」なのだから、ルーが5でいいのだ。だけどそれに合わせると私が食べるべきご飯の量はどうなる?)それと同じくらいかも。3:7でもいいかな。

 さて、書かれていることについても。面白かった。特になんだっけ、クリスマスカードを売っている人か、ヤバそうな男の人が登場した回はドキドキしてしまった。著者の緊張感がひしひしと文章に現れていて、現実と夢の境い目って曖昧だよなぁと考えさせられた。

 私が普段誰かとコミュニケーションするとき、前提にあるのは関係性が継続することだと思う。私とあなたの関係はこれからもある程度は続いていく。1日かもしれないし、1週間かもしれないし、20年かもしれない。だから関係性を維持するということに注力し、話すことは制限されてしまう。他人に対して、己の全てを明かすことなどできやしない。相手を困惑させるだけだし、私も明かしたいわけではない。

 このインタビューは「もう一度この人と会うかもしれない」という関係の継続性が弱い感じがする。インタビューを経て著者自ら足を運びもう一度会うこともあったけれど、大体は1回きりではないか?1回だけの関係。そこで語られるとりとめもない話が面白いのだ。話の内容を予測することができない。語る本人だけの生々しい話。私は、語る本人だけしか語れない話が好きだ。それ以上に価値がある話などあるのか?このインタビューでは、語る人たちだけの生々しい話がたくさん登場してくる。

 

 一方で、聞き手としての在り方には常々気を配らなければならないと思う。相手を搾取しようと思えばいくらでもできるということを忘れてはならない、感じ。というか、「話を聞く」という行為が、もうそういう性質を孕んでいる。搾取とか一方的とか上からとか線を引いてとか。なので、ミランダの試みはとてもセンシティブな問題に触れているとも感じました。方法が好ましくないとは全く思わなかったけれど。相手へのリスペクトが必要だし、ミランダは相手を理解したい、理解できないことを理解したい、という意思を感じたから。そして、一番大事なのはミランダとインタビュイーの関係性なのだ。