8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

アガサ・クリスティー『五匹の子豚』感想

 アガサ・クリスティーの『五匹の子豚』を読みました。

五匹の子豚 (クリスティー文庫)

 今から16年前の私って、何歳だ?

 そう考えたとき、この物語のすごさを再認識する。私は16年前の私と出来事を思い出すことができるかしら。

 

 とても面白かったです。傑作だとかそういう話を聞くのもとてもわかります。出てくる登場人物は1人の犯人と思われる女と、殺された男1人と、真犯人かもしれない5人と、ポアロと、ポアロに推理を依頼する女性1人です。合計9人?そう考えると登場人物って多いのかな。多い気がしてきた(え?)。でも、すごく無駄がないと思います。簡潔なラインナップという感じ。構成もシンプルで、ポアロが16年前の事件(妻が夫を殺した)について関係者5人に順番に聞き込みをする。それが第一部で、第二部でポアロが聞いてまわった順番に関係者目線の手記が展開される(ポアロ宛の手紙という形式で)。最後に第三部で、聞き込みと手記の内容を元にポアロが辿り着いた真相が明かされる。シンプル。そして、なんて濃密なドラマ。

 人間ってのは多面的であり、重層的なのだなと思うしかありません。カロリンが妹アンジェラに宛てた手紙が、作中でも表現されていましたが、それはそれは美しく穏やかで静謐なものでした。あとからじわじわと感情が迫ってきます。

角田光代『彼女のこんだて帖』感想

 角田光代さんの『彼女のこんだて帖』を読みました。

彼女のこんだて帖 (講談社文庫)

 いいですね。食べることがある。ただそれだけ。上手とか下手とかそんなこと、どうだっていい。人が食べることにハッとしたきらめき抱いた瞬間を捉えた作品だと思います。毎日作る必要なんてない。でも、ずっと食べることを「無視」するのは、それはそれで味気ない。そういう感じです。

 一番好きな話は何だろうな。「なけなしの松茸ごはん」かな。

「ホシやん、うちにあった最後のお金で、この松茸を買いました」(p.80)

江國香織『真昼なのに昏い部屋』感想

 江國香織さんの『真昼なのに昏い部屋』を読みました。

真昼なのに昏い部屋 (講談社文庫)

 

 再読なので過去の私はなんて言っていたのかしら?と思って過去記事を見てみたのですが、どうやら感想は書いていなかったよう。残念。読みました。

 

 面白いですねえ。短い話でもあるのであっという間に読めてしまいます。するすると。これは他の人はどんな感想を持つのだろうか?と知りたくなる話でもあります。一方で、私がこの本を読んでいることを知られたくない。そういう気持ちも湧いてくるからとっても面白いです。文体がまどろっこしいと思うのか、うざったいと思うのか。これは悲劇だと受け取るのか、倫理観の欠如をあげつらったりするのかしら?よくわからないな。

 私はどう読んだ?

 そうだな。例えばジョーンズさんが気に入りません。美弥子さんとジョーンズさんが共有する世界がとても美しく鮮やかなものであることはわかります。そこがこの小説の中でもとても好きな部分の一つです。しかし一方で、ジョーンズさんは公平すぎる。公平すぎる?クリーンすぎる?違うな。ジョーンズさんの皮膚は透明なガラスのような薄いもので覆われているのではないか?そういう無責任さというか、世界との距離感を感じるのです。そこが私は気に入りません。でもそれは世界の外に出てしまったからなのかな。私が気に入らない部分は、世界の内か外かの問題ではない気もするのですが…。まあ今後の宿題にします。

 美弥子さんとジョーンズさんは、この後もずっと長く関係性は続くのではなかろうかと思います。ジョーンズさんが見る美弥子さんのイメージが多少変わっても、二人は同じ層で物事の美しさを見いだせる気がするから(価値観が合うと言うのかもしれない)。

 浩さんとのディスコミュニケーションは面白かったのですがイライラしました。どうなのだろう。私が浩さんになる可能性はないのかしら。あるいは、浩さん目線で美弥子さんとのコミュニケーションを考えたときに、どう見えているのだろう。「私に執着しなくなったのね」それは、関心を寄せなくなったと同義なのだろうか。だとすれば、浩さんは、美弥子さんを自分の手中に収めた時から執着しなくなったのでは?とか。

 人って人の話を聞けてないものなのだろうなあということを、美弥子さんと浩さんとの会話から考えました。その些細なズレは美弥子さんとジョーンズさんとのやりとりでもありましたし。そう考えると、美弥子さんって元々めちゃめちゃ閉じられている人なのでは?とも思いました。他人に期待しない強さというか。そういうところ、好きだな。

 そう、多分この物語の特徴は、登場人物たちが依存してないところです。

町屋良平『愛が嫌い』感想

 町屋良平さんの『愛が嫌い』を読みました。

愛が嫌い

 『しずけさ』『愛が嫌い』『生きるからだ』の三篇からなる作品です。

 町屋さんの文体に慣れてきた感覚があります。町屋さんの作品はとても静かで混沌としているような印象です。静かで混沌って矛盾しているようで、でもそうとしか表現できない。ベクトルがはっきりしていないところが好きかもしれません。「○○でなければならない」が無い。いや、あるのだけれど、物語の背景に無い感じ。主人公は世の中の「○○でなければならない」から外れてしまった人だと思うので、そういう意味で「ある」。だけれど、物語の流れから、例えばニートはやめて働けるようにならないと駄目だよね、とか。そういうのがない。目標がない?ともまた違うか。もう少し考えてみます。

 『愛が嫌い』というタイトルにもがっつーんとやられますね。「愛が嫌い」か。

コナン・ドイル『まだらの紐 ドイル傑作集』感想

 コナン・ドイルの『まだらの紐 ドイル傑作集』を読みました。

まだらの紐―ドイル傑作集1 (創元推理文庫)

 

 「まだらの紐」含むドイルの短編が収録されています。ホームズが主人公のものもありますが、ホームズが出てこない短編もあってそれが面白いと思いました。特にお気に入りなのは、最後の「ジェレミー伯父の家」でしょうか。あとは「競技場バザー」「ワトスンの推理法修業」もあんなに短いのに面白いの、すごい。

 昨年からクリスティーを読んでいますが、やっぱり比較することでそれぞれの特徴が出てくる感覚があって楽しいです。クリスティー以外のミステリも読まないと駄目ですね。クリスティーはとても人が濃いのだなあと思います。一方ドイルは文一つひとつの切れ味がすごいというか、クリスティーに感じる人情が抑えられている分、さっぱりとカラッと読むことができる印象。ただその印象はこれからも本を読んでいくことで変わっていくことでしょう、楽しみ!ドイルも今年はどんどん読んでいきたいところです。

 「まだらの紐」は、確かに「まだら」の「紐」なんですよね。博士に腹が立って仕方ないです!

恩田陸『土曜日は灰色の馬』感想

 恩田陸さんの『土曜日は灰色の馬』を読みました。

土曜日は灰色の馬 (ちくま文庫)

 

 感想がひとつしかない。

 「インプットがすげえ…」

 ただそればかり。インプット量がすごい方なのだろうなと思います。またそれぞれのインプットに対する解釈も独自のもので、あの恩田作品はこれら数多の解釈が根底にあってのものだろうなと思わせる内容。自分が読んだことがないものも多数取り上げられているので、それを「自分は知らないからつまらん」ではなく「次にチャレンジしてみよう!」と前向きに捉え、作品名はメモすることとします…。

アガサ・クリスティー『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』感想

 アガサ・クリスティーの『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』を読みました。

なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 ああ、文庫本の表紙がいいですね。めちゃめちゃいいです。

 ということで読みました。ポアロミス・マープルも登場しません。退役軍人のボビイとおてんば伯爵令嬢のフランキーが主人公です。探偵でもなければ安楽椅子探偵でもないとなると、まず「どのように事件と出会い」「どのようにそれと関わっていくのか」というところがとても大切になるのですね。

 私はサスペンスドラマを幼い頃からよく見ていたのですが、温泉の若女将とか、銀行員とか、ルポライターとか、人類学者とか(もちろんどのシリーズも好きです)どうやって事件に出会うの?という人たちが持ち前の好奇心と巻き込まれ体質によって事件にのめり込んでいく、というケースは例外であり、今回のエヴァンズ~は、主人公のボビイが事件と偶然関わってしまい、さらには犯人に命を狙われるという導入でした。そりゃあ、事件を解決せねばなりません。

 今作も面白かったですねえ。エヴァンズは全然登場しないし。ボビイも嫌なキャラじゃないし。なんといってもおてんば伯爵令嬢のフランキーがまあ自由に突っ走ること。このタイプの主人公はクリスティー作品でも珍しいのでは(まだまだ読めてないですけど)。疑わしい一家と、刑事でも医者でも探偵でも弁護士でもないボビイたちがどのようにコンタクトをとるのか、やり方が強引すぎて笑ってしまいました。良いキャラです。

 

 

 

 

 

 

 これはもう種明かしになってしまいますが。

 狡猾で倫理観もぶっ飛んでいる犯罪者が魅力的に描かれがち(そして優秀)というのはクリスティー作品によくあることだと思います。ハンサムというか、人としてめちゃめちゃ能力が高く人を惹きつける才があるものだ、というのがクリスティーの人間観なのでしょうか。結局ボビイもフランキーもそれぞれが犯罪に手を染めたやばい人物に惚れてしまっているという構図が、なんというか、最後の結末まで読むと寓話的といいますか、教訓めいた雰囲気を纏っているような。「そして、二人は幸せになりましたとさ。ちゃんちゃん♪」と語り手がおどけた感じで幕を引く感じ?わかります?そういう収まりの良さを感じました。好きです。ボビイとフランキーに幸あれ。