8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

伊坂幸太郎『終末のフール』感想

伊坂幸太郎さんの『終末のフール』を読みました。

終末のフール (集英社文庫)

 小学生の頃から本は少しずつ読んできましたが、実は伊坂さんの本は2冊目です。

伊坂さんといえば私でも名をよく知る作家さん。映像化された作品も数多く、有名な作品が多い印象。なのに、私はここまでほとんど読んできませんでした。

確か中学生の頃だったと思いますが、伊坂さんのある作品を読んで、「(有名な割には)面白くないなぁ...よくわかんないし」と思ってそれ以降全く読んできていませんでした。ぶっ飛ばしものですね(笑)今思えば、あの頃の自分には難しい話だったのかもしれない。今もすっ飛ばして読む傾向があるけれど、あの頃は今より輪をかけて「質」より「量」。できるだけ短時間に多くの本を読むことを大切にしていたところがありました。自分がよくわからない、ピンとこない話は敬遠してしまったのかもしれませんね。勿体ない。

これからたくさん伊坂さんの本を読もうと思いました。「面白くないなぁ...わかんないし」と思った本のタイトルも覚えています。きっとあの頃とは違う読書体験があるはず。今から楽しみです。

 

さて、ここまで思わせてくれたのが、伊坂さんの『終末のフール』です。

タイトルは何度も様々なところで目にしました名作。本当に名作なのか、どんな話なのか。恐る恐るページをめくって、それからはあっという間でした。2日ぐらいで読んでしまったので私にしてはかなりハイスピードで読み終えてしまった。本当に良かった。夢中になりました。

 

私は本は専ら図書館。図書館で手にして、手元に置きたい本だけを買うことにしています。『終末のフール』は今度本屋さんに行って買ってこようと思います。できれば文庫本ではなく単行本で。それぐらいの作品ということです。

 

感想に入ります。

 

世界が例えばあと数年で終わると知らされた時、自分ならどうするか。

きっとこの本を読み終えた人は考えることだと思います。

 

私は、というと。

現実感がない質問ではあるので正直な自分の気持ちなのかわかりません。

でも、いつ死んでもおかしくはないな~と思って生きています。車で轢かれたりとか、誤って線路に落ちてしまったり、無い話ではない。誰かの恨みをかう行いはしていないけれど通り魔的に襲われる可能性だってある。だからいつ死んでもおかしくない。でもいつ死んでもいいようには生きていない。重みを感じて日々生き続けることはできないけれど、やりたいことを躊躇したときはいつか自分は死ぬことを思い出して、少し勇気を振り絞れればいいなと思いました。

 

この本の世界で生きる人々は、「自分はどう生きるか」という問いに対して逃げなかったし考えることを許されたというか、認められたというか、運よく生きることができた人たちなのだと思います。死を前に耐えられない人は自ら死んだ。不幸にも事故に遭ったり殺められた人もいた。

生き残った人たちの物語は、不思議と平和で穏やかでありふれた生活の物語だけれど(中には不穏なものもあるが)どこか悟りというか哲学めいた後味を残してくれる。ほわほわしているけれど、確かな物語。それがものすごく良かったです。何回も、事あるごとに読み返したいなと思いました。

 

 

特に気に入ったのは、優柔不断な旦那さんのお話と、お父さんの本をたくさん読んだ女の子の話です。本がたくさんある部屋っていいですね。書斎、欲しい。私は小学生の時短所で「優柔不断」と書かれた人間だけれど、優柔不断ってそれだけ物事に真剣で真面目ってことだと思うし、作中で奥様が指摘されたように「答えを知っている」場合もある。優柔不断は、世界とちゃんと向き合っている証拠です(多分)。

 

終末の世界は一体どうなっているのでしょう。

もし『終末のフール』の世界に私が生きていたとして、人々がたくさん亡くなりインフラは最低限のものしか成り立っておらず穏やかな世界で何をする?と聞かれたら。私は首都高を一人歩きたいです。思いつきですけれど。誰もいない、車も走っていない、もしかしたら車が乗り捨てられているかもしれない。そんな首都高を、一人黙々と歩きたい。夜は電気がないかもしれないから朝4時ぐらいから陽が真上にのぼるまで。

 

また、いつか読みなおしましょう。とても充実した読書体験でした。

 

伊坂幸太郎さんの『終末のフール』を読み終えました。