8月2日の書庫

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阿部智里『烏に単は似合わない』感想

 阿部智里さんの『烏に単は似合わない』を読みました。尚、以下の内容はネタバレになるので未読の方はご注意願います。

烏に単は似合わない? 八咫烏シリーズ 1 (文春文庫)

その人が見たいものが世界

八咫烏シリーズ》第一作目です。二作目の『烏は主を選ばない』を読んだ後にこちらを読みました。順序通りに読むのがよろしいかと思いますが、この二作は同時期の出来事を《桜花宮》の姫君視点で見るか、若宮視点で見るかの違いだけなのでどちらから読んでも良いと思うし、逆にどちらかしか読んでいないならすごく勿体ないなと思いました。

 私は若宮サイドの真意を把握したうえで『烏に単は似合わない』を読みましたから、終盤にかけていきなり若宮が登場したときもそれほどひどいことをしているとも、いきなり現れたのに人のことをずけずけ偉そうにいいやがって、とも思いませんでした。それなら二作目の雪哉への若宮の仕打ちも散々なものです(苦笑)

 『烏に単は似合わない』もとても面白く終盤に向かうにつれハラハラとした展開、気になるしかない事の真相が読んでいてとても楽しかったです。《八咫烏シリーズ》のにんげんたちは基本的に秘め事が多いです。敢えてなのか、無意識なのか、語る必要がないと判断しているのか。こいつ何か隠しているな、とうがった目で出てくる登場人物たちを見るようになるかも。

 面白かったのは、「その人が見る世界が、世界そのもの」ということです。夏殿の主である浜木綿の思惑がこの物語のキーとなるためあまり彼女の心中に迫れなかったのが惜しいくらい、どの姫君も秘めた思いがそれぞれあったわけでした。

 後に「あせび」と呼ばれる春殿の主が《桜花宮》に登殿するところから物語は始まるし、若宮の妻を選ぶための場所である桜花宮のしきたり等に疎いあせび視点となることで、読者は八咫烏の世界、桜花宮の暮らしを知っていくわけで、つまり視点が「あせび」寄り、あせびが見た世界がそのまま八咫烏の世界になっていたんだな、と読み終わる頃に気がつかされました。視点の主が知らないこと、見ないこと、存在しないと思ったもの、意識下にないこと、語られないこと、思わないことは、読者にとっても存在しないことになるのです。別にあせびが絶対の悪だったかと言われると、いやいや生易しいものですよ、むしろ他の姫君が欲を持ちつつそれが人を害さない欲だっただけのこと。もっと、もっとギラギラしていてもよいはずだったのにね。

 ということで、あせびの別の顔?いや別の顔なのではなくて、同じ顔なのだけれど違う風に解釈できるよね?という部分が言及されるシーンはとても面白かったです。

 

真赭の薄

 にんげんって多面的、ということについては、あせびだけでなく秋殿の主である真赭の薄についても言うことができます。というか序盤のいけ好かない真赭の薄像はどのタイミングで「聡明で思慮深い姫君」に変わっていったのだろうか。早桃の着物盗難未遂事件の頃か。

 真赭の薄は箱入り名家の姫君だけれどきちんと自分で物事を理解しようとする姿勢、その聡明さ、観察眼の持ち主でした。登殿直後のあの嫌な感じは、若宮の后になるという目的故だったのか。目的の為なら多少人をあげつらってもよいけれど、でも、本当のところでは他者を重んじることができる?真赭の薄像が色々と揺らぐところも良いです。にんげんを矛盾ない生き物として理解しようとすることの方が無理があるものだもの。

 ということで、私は真赭の薄ちゃんがとても好きです。高潔で彼女なりの筋を通すところとか。浜木綿についていくのは彼女なりの禊の意味もあったのだろうけれど、どうせ西家の領地に戻ったところで若宮の后にはなれなかった(浜木綿のほうがふさわしいと思っていたから)ことだし、桜花宮での浜木綿とのバチバチ火花が出るやり取りは思いのほか楽しかったし、このまま浜木綿と一緒にいたほうが楽しいわよ絶対、みたいなところがあったりしたら私は嬉しいです。西家においては彼女は絶対の地位があるわけで、どんなにその人が利口だとしても身分が釣り合わなければ彼女が相手に対して本気になることが許されない窮屈さがあるわけで、それならば同じ名家の姫君(ちょっといわくつきだけれど)で自分と同じのように頭がよく機転が利く浜木綿は、もしかしたら彼女が素の状態で喧々諤々とやりあえる初めての好敵手だったのかもしれませんね。泣ける。

 

思惑

 人を篭絡しようとする者(その自覚すらなかった者)とそれに従う者、乗っからないで自分の思惑は自分の中で完結する者、色々なにんげんが登場しました。

 私は人が自分の思い通りになるなんて思ったことがない人間だから、思い通りにさせる技量があるのかすらよくわからないし(もしかしたら無意識に篭絡しているのかもしれないが)その点あせびちゃんはよくわからないのだなーと思いました。生まれてから人を従えることができた人間だからなのかもしれません。ということで、《八咫烏シリーズ》の良さ?は、生まれながらにして人を従えることができるにんげんと、人に従うことが普通だったにんげんたちの悲喜こもごも、その生きざまを描いているのかもしれません。「単は似合わない」「主を選ばない」という題名も良いですね。

 

 

ということで読んでいてとても楽しかったです。

阿部智里さんの『烏に単は似合わない』を読み終わりました。