8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

目の前にあることを/小野不由美『丕緒の鳥』

 小野不由美さんの『丕緒の鳥』を再読しました。

丕緒の鳥 (ひしょのとり)  十二国記 5 (新潮文庫)

丕緒の鳥

 良い話でした。陶鵲が実際に射られる儀式を慶国の新しい女王である陽子は「息を呑むほど美しかった」と形容する。伝わったと思った丕緒の静かな感動が胸に染みわたってとても良いです。

 目の前の物事と向き合うことで世界と対峙する。私もそんな風にして生きていきたいな、と思わせてくれたのはかつて読んだこの話がきっかけだった気がします。さて数年後の私、そんな風な生き方できていますか?

 

落照の獄

 ばっかやろう、という苦さが読み終わって口に広がりました。

 死刑制度を彷彿とさせる設定ですが、十二国記独特の世界観、王が病めば国が病む、というものも意識して読んだ方が良い気がします。瑛庚の躊躇いは無視できないものだった気がしていて、何故躊躇するのかそこには何があるのか熟考を重ねられない、議論できないで感情論に流されてしまうってのが問題だったのだろうか。

 ちなみにこれに登場する甥っ子?息子?の蒲月さんが私は好きじゃないです。

 

青条の蘭

 ずっとずっと息苦しさが続きました。希望の株が人から人にわたる時、鳥肌が立ちました。

 

風信

 目の前のできることをやる。それ以外他に何ができるのだろう?強いメッセージ性を感じつつ、それは生き物のあり方だったり暦を作る人たちの生き様から柔らかく伝わってくる押しつけがましいところがあまりないのが好きです。《十二国記》は私の人生観に影響を与えた本だし啓蒙的な部分もあるのだけれど、でも真面目に登場人物たちが何かに気がついて読者もそれを見て考えさせられる感じがする。

 本当に本当に追い込まれて崖から落ちないようどうにか堪えている人は泣くことすらできない。だとすれば、最後蓮花が声をあげて泣くことができたのは本当に良かったなと思う。それほどまでに、王という存在はこの世界には希望なのだ。

 

 

 ということで、じんわりと温かくなった短編集でした。十二国記、最新作。読めるのか2019年。生きねばなりません。

 

 小野不由美さんの『丕緒の鳥』を読み終えました。