8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

恩田陸『錆びた太陽』感想

 恩田陸さんの『錆びた太陽』を読みました。

錆びた太陽

 

 『消滅』の世界と繋がっている設定は無いけれど、あの世界の延長線上に位置する世界の話だなと思いました。人間に代わってロボットが活動する時代。ロボットという存在を通して「人間とは何か」について考える話(あくまでコミカルに)。

 そして大事なのが、『錆びた太陽』の世界では原子力発電所の事故(こちらはテロリストによる襲撃)で狭くない範囲の国土が汚染地域となってしまったということ。無論、東北の震災による福島第一原発の事故を思い起こさせます。

 話自体は「あー面白かった」という軽やかなものでしたが(途中とても緊迫した状況でどきどきしましたが、一石二鳥、どちらもとりあえずは上手く収まったわね、といつのまにかさらりと物語が収束してしまった)印象に残っていることがあったのでそれについて書いて私の感想とさせていただきます。

 国税庁の財護徳子という女性がこの物語をとにかく引っ掻き回すのですが、彼女の独白シーンです。

 

 徳子は以前、江田島にある第二次世界大戦の資料館を訪ねたことがある。

 つくづく圧倒された。

 圧倒されたのは、そのあまりの悲惨さにではなく、そのあまりの世界規模での無駄遣いに、である。

 

 徳子という人物はなかなかの変わり者で、彼女の考えがスタンダードではないと思うけれど、私はこの言葉に頷いてしまったのです。もちろん戦争の凄惨さにも心打たれるとは思うけれど。

 そうなんだよな。戦争とはなんて無駄な行いだろうと私も思います。資材の無駄、人的資源の無駄、知識の無駄。戦争が技術発展に寄与したという言説は否定はしないけれど、失われたものと技術発展によってもたらされたものは果たして釣り合うのか。

 最近、映画『幼女戦記』という、幼女(ただし中身はサラリーマン)が架空の世界の大戦の前線に赴いてひたすら戦争をするという話を見てきたのですが、超合理的思想のターニャさん(幼女の名前)も同じこと言っていた。戦争という行いは、つくづく無駄な行い。なのに目下の利益と自分たちの尊厳を踏み躙られたのどうのという不安定な感情によって突き進む人間。一体どうしたらいいのでしょうね。

 この姿勢に対抗する存在として作者が打ち出したのが、私は《マルピー》と作中では形容されている、人非ざる者となり果ててしまった《博士》だと思うのです。博士はマルピーの中では特異な存在として、思考することを奪われず状況を見定めていく冷静沈着な存在として描かれていますが、要は、考えることは尊い、ということです。

 感情だけでなく知も尊ぶこと。人間は獣ではないのだから。

 というようなことを考えさせられました。面白かったです。

 

 恩田陸さんの『錆びた太陽』を読み終わりました。