8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

多崎礼『〈本の姫〉は謳う 2』感想

 多崎礼さんの『〈本の姫〉は謳う 2』を読みました。

〈本の姫〉は謳う2 (C★NOVELSファンタジア)

〈本の姫〉は謳う2 (C★NOVELSファンタジア)

 

 

 は~~~~~~~。マジで面白(感想が雑)。

 超読書家なわけではないけれど、本を読んでいるとその手のアンテナは張られていて風の噂で面白い本の話を聞くことがある。あるわけだけど、この多崎さんの話は今まで無かった!!!なんてこった。面白いのに!!!

 ということで、面白かったです。するする夢中で読めてしまう。1,2日であっという間に読んでしまいました。地名にはこだわらず読んでいるのですが、この物語の世界を自分なりに地図にしてしまいたい欲求があるくらい、もう圧倒的世界を作り上げているシリーズです。あと時系列でもまとめたいですね、色々と各地で「文字(スペル)」による人心と大地の荒廃が進んでいるわけだけど、その発端が果たしてどこにあるのか。整理する必要がありそうです。

 

歩くのに2日かかった

 感想として印象に残ったことを1つ。この本に関してはもっと地理的な部分、細部にわたって読まねばと思いながらも話の先が気になってしまい、駆けるように読んでしまいます。なのでところどころすっ飛ばしているのですが、目が捉えたきり頭の中に残っている文があったので書いておきます。

新しい土地までは歩いて二日ほどの距離だった。

 なんてことない記述です。本当に、なんてことない文。これはアンガス目線と第十三聖域の天使「俺」目線で交互に紡がれる物語のうち、「俺」が遊牧民であるラピス族の一員になり初めて居の場所を移すときのところです。

 この物語の世界の移動手段は鉄道、および馬、あるいは徒歩が主なもの。そしてラピス族は先住民であるので(「俺」はアンガスより前に生きている天使なのでもしかしたら鉄道もないかもしれない)徒歩か馬での移動になるわけで、引用のような描写が生まれるわけですが、ここで私、思ったわけです。「2日歩くなんてことありますか?」・・・。ないです。当たり前?当たり前なのでしょうか。まあ自分にとっては当たり前なんですけれど、さて移動するためだけに2日間歩く。そういう感覚を自分は持っているだろうか、あるいは今後も持つことはあるのだろうか、ということを考えたらなんだか面白いなと思いました。

 時間的空間的視座を持つ。趣味の読書ではありますが、忘れないようにしたいと思います。読み方というのは人それぞれで、私はどちらかといえばストーリーに注目しがちなのですが、なんてことない描写を体ありきで考えたときに、多分今まで読んだ物とは異なる発見があると思っています。

 

 さて、3巻目に突入したいところなんですが自治体の図書館が今はお休み中なのでいつ読めるだろうか。今年には続きが読めたらいいなと思います。