8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

人にウィスキーを買わせる本/村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

 村上春樹さんの『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』を読みました。

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)

 

 この本をそもそも読んだきっかけというものがあって、その元を辿れば「酒に対する興味関心が芽生えてきた」ってのがあるのだけれど、この本はその興味関心に決定打を打ってきたような、そういう感じがする。引用してみる。

 ささやかな本ではあるけれど、読んだあとで(もし仮にあなたが一滴もアルコールが飲めなかったとしても)、「ああ、そうだな、一人でどこか遠くに行って、その土地のおいしいウィスキーを飲んでみたいな」という気持ちになっていただけたとしたら、筆者としてはすごく嬉しい。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』(2001)、新潮社、p.12)

  著者が意図している通りの効果が読者に対して発揮できているってのは、多分村上さんの文章が読みやすいからなのでは?と思うのだけれど、それはあくまで「私にとって」読みやすいであり、昔からこの人のエッセイを読むのは好きであった。

 私は酒が好きか嫌いかと聞かれたら「嫌い」と答えるわけだけれど、それは「酒に呑まれる人」も含めている嫌いであり、お酒そのものについて考えると「割とどうでもいい」という答えになるのかもしれない。どうでもいい、というのは、酒を飲んで得られる(得られるのかな?よくわかんないけど)高揚感とか浮遊感とかそういうものには魅力を感じないからであって、あとは比較的酒に強い方という体質もある。酒を飲もうがお茶を飲もうがコーヒーを飲もうが、テンション的には差がない(もちろん酒を飲めば多少は酔うが)。「どうでもいい」からこそ、好きにも嫌いにも容易に転ぶのであり、私はこの本を読んで翌々日に自分で初めてお酒を買ってしまった(「初めて」とあるところからお察しの通り、本当に日ごろ酒を飲まないのです)。シーバスリーガルのミズナラ12年。つまり、この本は普段酒を飲まない私に酒を買わせたすごい本なのです。

 村上春樹さんのパートナーである奥様が撮った異国の写真はどれも瑞々しく新鮮で外国なのだからそりゃあ新鮮かもしれないですけど、それだけでなく「記録としての写真」という点がすごく好きだった。普段私は「いい写真を撮りたい」と思いがちなのだけれど、本当に撮りたいのは「記録としての写真」だ。見栄えよりも、驚きや未知、なんとなく撮りたい、撮っておかねば!と思った感情そのままに撮った写真。構図の良し悪しとか絞りとかシャッタースピードとか、そんなことに頓着しない写真、もしかしたらこの本で使われている写真はそういうことが意識されているかもしれないけれど(だとしたらめちゃめちゃ失礼なことを言っているので申し訳ないけど)多分違うと思う、そういう写真を撮りたいという自分の価値観でもって、私はこの本に魅かれてしまう。ウィスキーを飲みたくなることは間違いないけれど、旅をしたくなるし文章を書きたくなるし写真を撮りたくなる本。

 そしてタイトルの「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」はまえがきに登場する文章だけれど、この言葉で始まる段落は特に名文なのだろうと思う。こういう文章、書けないな、すごいなと思う。

 私は村上春樹の小説は読まないけれど、エッセイや翻訳は次々手を伸ばしてしまう。長編に辿り着くのはいつになるだろう。その時が来るのか、私は時機を逃さないよう待っている。