8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

千早茜『ガーデン』感想

 千早茜さんの『ガーデン』を読みました。

ガーデン (文春文庫)

 面白かった。単行本で読んだのだけれど、文庫本の表紙も素敵。単行本も素敵。私はこの本を始めて訪れる洋食屋の窓際の席で読んだことをおぼえている。水が入ったコップの水滴とか、メニュー表がない店内とか、吊るされたワイングラスとか。本をどこかで読むとき、そういう場の記憶も漏れなくついてくる。そういうの、好き。

 人に興味がなく植物に愛情を寄せる男、羽野。彼の部屋は植物がたくさんあって、彼のための楽園。彼以外の人を寄せ付けない。

 女と植物。楽園。帰国子女。人に期待すること。勝手な他人像。

 さらりと読めるけれど思考はいくらでも深堀していける、そういう作品だなと思いました。中でも私がずっと気になっているのが、羽野という人間の閉鎖性。

 読みながら思ったのだけれど、羽野さんに私は似ているのかもしれなかった。私は彼ほど何かに執着することはないけれど、あまり人に興味が無いのかもしれないのだ。先がなく閉じられている感じ。羽野も作中で言っていたと思うけれど、それの何が悪いのだろう?

 何が悪いのだろう。悪くはないかもしれないけれど、グロテスクに見えるのかもしれない。羽野は少なくともその異常性、他の人から見れば奇異に見えるということがあまりわかっていないのかなと思った。

追記)「わかってない」のではなく、わかっていてもどうでもいい、他人が何を思おうが自分には関係がない。だって自分が愛していることだから。という感じなのかもしれない。難しい。あと、別に奇異だろうがなんだろうがそれは個人の自由で、個人的には羽野さんのように尖ってる人は好きだ。友達になれるかどうかはわからん。

 

もちろん自分の趣味嗜好に対する世間の反応は弁えているから、自己紹介でもかなり慎重に言葉を選んでいる節があるのだけれど、最後の方で既知のバーテンダー、緋奈から追及されるところは自身のグロテスクさを羽野がわかっていない証拠になる。

 物語の最後で、羽野は閉じられた世界から一歩出るような光が差した。実際は何もしないかもしれないけれど、羽野が自身の荒々しい欲望と対峙した結果だと思う。結局は欲望なのか、閉じた世界を壊すのは。私の閉じられた世界が壊れる日は来るのだろうか?今はその気配がない。そんなことを考えながら読みました。