大前粟生『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』感想
大前粟生さんの『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』を読みました。
「ぬいぐるみとしゃべる人」は「 」。
「 」に入る言葉は、「繊細」でもなければ「傷つきやすい」でもないのだな、と思いました。「やさしい」なんですね。しかも「優しい」ではなく「やさしい」。
ぬいぐるみとしゃべる人たちが集まったサークル。そのサークルに所属する、ぬいぐるみとはしゃべらない人、七森と白城と、ぬいぐるみとしゃべる人である麦戸のお話。
読み終えてしばらく考えたのち、ぬいぐるみとしゃべる人、しゃべらない人が、他者と話せるようになるまでの話だと思いました。ぬいぐるみは拒まない。でも他人は自分を拒むかもしれない。わかってくれないかもしれない。その恐れを克服するというか、そんなこと考えなくてもいい他者を見つける話なのかな。
そして彼らはやさしいから、他人の「ぬいぐるみ」であろうとする。あることができる。でもそれはとてもハードなことだから物語の最後の一文になる。私はこの小説の最後の一文が好きです。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』最後の一文に特に痺れたな。
— 本読む治野 (@d1PVrVUFUTfjrXb) 2020年11月4日
私は他人の性質とか属性とかを言葉で表現することが苦手で、やさしいとか繊細だとかそういうことも考えるほど意味がわからなくなる。私は七森が、麦戸ちゃんがやさしいのかわからないです。でも七森がしんどいと思っていること、麦戸ちゃんがしんどいと思っていることはきっと同様に感じる人も多く、その描きっぷりが素敵だなと思いました。知っていることを言葉にするってのは、案外難しいことです。
この小説、難しいです。うまくまとめられません。読み易いけど、難しい。