江國香織『ホリー・ガーデン』感想
江國香織『ホリー・ガーデン』を再読しました。
今年の三月ぐらいに図書館で借りてもう一度読みたいなと思ったので文庫本で購入後、読み直しました。
一つひとつの章が短いので、一章読むごとに「ふう」と息を吐きだし、茶でも飲み、再び「よいしょ」と読み始める。そういう本だと思います。
わかりやすいことはないのだな。
江國香織の小説は「わかりやすさ」の対岸に居て、だらだらと人間のことが描かれている様はあるべき姿、もっともらしいを感じます。
最近の私の関心事は、いわゆる二次元のキャラクターのユニークさというある種の磁力みたいなものにするすると引っ張られていく己の心であり、彼ら彼女らのわかりやすさは非常に悪魔的な強さだ。
人はもっと混沌としたわかりにくい生き物だろうに、アニメでもドラマでも漫画でも、そして小説でも、痛切明快なキャラクターが活躍し、私は彼ら彼女らの個性を消費する。どうしてそんなことになるのかというと、身近な人間にはわかりやすい人間など誰一人としていないからではないか。厄介で煩わしいからこそ、わかりやすい人間のわかりやすさは楽なのだ。
果歩も静枝も中野も芹沢も、人物紹介のページで100文字以内でその人となりを語ることはできないだろう。300ページ超にわたり彼ら彼女らのことをだらだらと描いたこの小説が、私はやっぱり好きだ。