8月2日の書庫

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荻原規子『西の善き魔女1 セラフィールドの少女』感想

 荻原規子西の善き魔女1 セラフィールドの少女』を読みました。

西の善き魔女1 セラフィールドの少女 (角川文庫)

 

 ううむ。面白かった。ちゃんと面白かったのに今まで読んでいなかったのは一体なぜなのだろう。「すべてを読んだ」なんて大言壮語するつもりはないが(有名なファンタジーを網羅してるとも言い難い)まったく知らなかったわけではないのだ、存在を知っていたのに読んでいなかったとは。

 なんというか、ファンタジーとの付き合い方は波があるように思う。同じようにSFにも波がある。ミステリーと純文学には波がない(年がら年中読んでいるイメージ)。この「波がある」というのは月ごとではなく年単位の長いサイクルで、特に私にとって近頃のファンタジーの波は10年から15年、いや20年か?越しの波である。本当に久々にファンタジーを読もうとしている。もしかしたらこのウェーブはそれほど長くは続かないのかもしれないけど。

 息を抜きたくなったという感じだ。ちょっと違う世界に飛びたい。現実の諸問題から逃避したい、いや、逃避というのは言い過ぎかもしれない、現実の諸問題と並行して全く異なる物語の世界に沈み込みたい。要は気分転換だ。

 以前の波のときはそういう読み方はしていなかっただろう。あの時は現実とやらがわからなかったから、作中で丁寧に解説してくれる分ファンタジーの方がとっつきやすかったのだ。日本国のことを学ぶより、魔法の世界の仕組みをハリーと一緒になって勉強するほうがわかりやすかった。

 読み方が違うので、読むときの感覚も違う。それが楽しいなと思う。何が異なるのかうまく表現できないのがもどかしい。

 

 さて、西の善き魔女の話をしよう。主人公フィリエルが突然スイッチが入ったかのように屹然と相手を見つめるシーンが印象に残っている。平生から弱気な女の子ではないのだけれど(むしろ明るく元気で周囲との関係作りもうまい女の子だ)そこからさらに一段階、二段階ギアを上げる瞬間があって、かなりはっきりと描かれている。例えばユーシスにあらぬ疑いをかけられたときとか。「いいぞやったれ!」と読み手としては応援してしまう。

 そんなフィリエル、とあることがあって心身ともに衰弱してしまう。憔悴するフィリエルに対して彼女の周囲にいる人たちは「一体どうしちゃったの」とおろおろしてしまうのだが、私もおろおろしてしまった。フィリエルどうしちゃったのよ。

 なんというか、フィリエル、読めない子だ。なんとなく読めるなあ、こういう行動するよなあ…と思いながら本を読むことが多いのに、フィリエルはその読みを時々外してくる。それが面白いのかもしれないと思った。

 そしてアデイルも欠かせない登場人物だ。有能なのに嫌味がない、彼女のバランス感覚はなかなかすごいと思う。彼女のようなバランサーは小説にはあんまり登場しない気がするのだが気のせいだろうか。彼女には安心できるが、その道のりはなかなかハードなので物語として読ませるものである。2巻以降も楽しみ。