8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

森博嗣「キウイγは時計仕掛け」

 森博嗣さんの「キウイγは時計仕掛け」を読みました。

 Gシリーズと呼ばれる作品群の中では10つのうち9つめ。このシリーズの今のところの最新刊は2016年だから、まだまだ続きはあるのだろうか否か。

  •  嵐の前の静けさなのか否か
  • 気になる人物・雨宮純と島谷文子
  • 意味は結局本人たちのもの

 

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「パスワードはひ・み・つ」風浜電子探偵団事件ノート①

 松原秀行さん作「パスワードはひ・み・つ」を読みました。 

 かれこれ10年以上前に読んだ作品だと思いますが、「大人」になって読む「パスワード」シリーズも相変わらず面白かった、今回はそういう話になるかと思います。

  • あらすじ
  • 読みなおすきっかけは、些細な会話
  • 今になって色々感じる「パスワードシリーズ」
    • 昔のときめき
    • 個性豊かなキャラクター像
  • 無理にかっこいいことを言うのならば・・・

 

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森博嗣「θは遊んでくれたよ」

 森博嗣さんの「θは遊んでくれたよ」を読みました。

 森さんの作品群の中でも「Gシリーズ」と呼ばれるシリーズものの2作目。私は1作目も読みましたが、1作目を知らなくても多分大丈夫。もちろん読んでいた方が、登場人物の情報などを踏まえた上で読むことができ、より楽しむことができると思いますが。

 

あらすじ

 西之園萌絵がその奇妙な「事件」を知ったきっかけは、旧友との会話の中でだった。

 大学病院に勤める旧友・反町は「3つの口紅」の分析を警察から依頼されたのだ。というのも、連続して妙な自殺体があがっているというのだ。3人の無関係な自殺体には、共通する「マーク」がそれぞれ身体につけられていた。1人は額に、1人は手のひらに、1人は足の裏に。そしてそのマークは「θ」。一体何のために?この3つの自殺は関係があるものなのか。自殺ではなく事件性があるのか。だとしたら、誰が何のために?反町が口紅の分析を依頼されたのは、θのマークがどれも口紅でつけられていたからだ。これもまた謎めいている。男性の自殺体もあるというのに…。

 こんな奇妙な事件を聞いてしまった西之園は、持ち前の頭の回転力の良さと好奇心とでどんどん事件に関わっていく。シリーズでおなじみの登場人物、犀川先生や、院生である山吹、他にも学部生の加部谷や海月といった登場人物も、事件について考察を展開していく…というお話です。

 

感想

 この「θは遊んでくれたよ」を合わせてGシリーズは3作目ですが、今の段階で私はこう結論付けました。ずばり「このシリーズは、面白い」。

 はい。面白いです。3作とも大体、夢中で読んでいます。

 物語を読むスピードは私の場合「その作家さんの文体に馴染めている」かつ「考え方に共感できる、あるいは内容が面白い」、この2つのかぎかっこを満たしていると、かなり読むスピードが上がります。集中力が増すのですね。

 この話は上記の条件2つとも満たしているので、もうあっという間に読んでしまいます。

 

 この本そしてもしかしたらGシリーズ共通の特徴なのかもしれませんが、事件の真相のようなモノの表面的なものは解決するのに、根本的なところは結局わかっていないよねぇ、という素敵な終わり方をする、というのはあります。かといって次回に続く、というほど煽りに煽りまくった終わり方でもないので、読み終わった直後はとても不思議です。

 

 どうやらこの作品群を読むにあたって、私が楽しみにしているのは「奇妙な謎」(今回の場合は「θ」のサインと自殺の関係性)ではなくて「登場人物たちの言動」であり「行動」であり「思考」であるようです。完全ある「キャラ読み」ですね。ストーリーではなく、キャラクターに比重を置いて読んでしまっている。

 このシリーズの特徴なのか、物語は「動機」というものにさして重きを置いていないところがあるように思えます。要は、主に探偵役を担ってしまう海月くんや犀川先生は、動機に価値を置いていない。どのように自殺したかあるいは殺されたか、犯人は一見奇妙なことをしたのかあるいは結果的に奇妙なことになってしまったのか、を明らかにするのであって、「なぜ」自殺した人なら死んだのか、殺しならなぜ犯人は殺したのか、については、非常に扱いが軽い。2時間もののサスペンスドラマならそのあたりを重点的にかつ感動的・悲劇的に語る場面であるはずなのに。

 

 では細かな感想行ってみましょう。

 

痺れた言葉

 感電したようなビリっときた言葉が満載、というのも森さんの作品に対する印象の1つかもしれない。とにかく痺れる。独特の考え方と独特の表現だと思う。

 

ウェイトレスが料理を運んできた。そこで、赤柳はホットミルクティを注文した。山吹は定食、海月はカレーライス、加部谷はドリアである。(p.162)

 別になんてことない文章だけど、私はなぜか「じーんと」くる。そうか、赤柳さんはホットミルクティ、なのね、とか。海月くんはそうだったカレーライスを好むんだっけ、とか。山吹さんが定食、というチョイスがなぜかじわじわきたり。何故なのか。わからない。ホットミルクティはすごい。そこはアイスコーヒーでもブレンドでもなく、「ホットミルクティ」なのだ。うわー。

 

コーヒーとポテトを正しく消費したあと、加部谷恵美は食堂を出た。(p.61)

 これはとても痺れた。「正しく消費した」ってすごい表現だ。すごくいい。この文章を何回か目で追いながら、「正しくない消費」ってなんだろう、と考える。きっとポテトを目の前の人物に思いっきり投げつけてやった、とかそういうことなのかな。ファストフードのポテトってなんであんなにおいしいのだろう(物語上は大学の食堂のポテトだけれど)。私も、正しくポテトを消費したい。正しくないポテトの消費も、ちょっとだけやってみたい。

 

 食べ物に関してはあともう1つ。

その横の海月は黙々とカレーを食べている。食べ方が速いわけではないが、規則正しい作業といった雰囲気で、まるでスコップで土木工事をしているようだった。(p.163)

  これもすごい。「土木工事をしているよう」の切れ味が冴えわたっている。この形容の仕方と海月くんが結びつくとさらにものすごい効果を発揮すると思う。この文章だけ読むとまるで海月くんがカレーを嫌々流し込もうと奮闘しているような印象も受けるかもしれないけれど、違う。これが海月くんの日常なわけだ。私は土木工事のようにはご飯は食べられないな。

 

今悩んでも仕方のないことより、とりあえず目の前のワインを

 これまた素敵なやり取りを紹介。

「それじゃあ、今悩んでもしかたがないわ」

「そうだなあ、うん。確かにそうだ。うん、やっぱり、今はこれを美味しく飲もう」

「いいよ。全部飲んじゃって」

「飲めるかよ、こんなに」

「明日、また電話するから」

「そうね、そうして」(p.230)

  これは、西之園さんと反町さんの電話での会話の一部分。一番最初に西之園さんが「今悩んでもしかたがないわ」と言う。反町さんはこの時あることで思い悩んでいるのだ。ちなみに反町さんの目の前には、西之園さんがお土産として持ってきたワインがある。本当は、反町さんの仕事場で真夜中に2人でワインを飲んでいたのだけど、西之園さんは色々あって結果的に帰ることになって、反町さんは一人仕事場で西之園さんに電話しているのだ。

 そう。それで。考えても仕方のないことは、考えなくていいのだ、ということを私は考えた。それでワインもろくに楽しめないのならば、ワインを飲んだ後に考えるのも決して悪くないと思う。ただ反町さんが悩んでいることも倫理的に(というか人間として?)とても真っ当な葛藤だと思うし、とても重要な内容なので、それを後回しにして「とりあえずこれを美味しく飲もう」という落差に、私はビビッと来てしまったのかもしれない。大体、この物語の登場人物たちは、少しずれている。正確には「ずれ」がはっきりと顕れて面白さにつながるような絶妙な関係だ。それが読んでいてとても楽しい。

 

 他にも色々と考えていたのだけれど、もしかしたら追記で書くかもしれない。

 とりあえず楽しかった。あっという間に読めたし、読みながら痺れていた。

θは遊んでくれたよ ANOTHER PLAYMATE θ (講談社文庫)

恩田陸「ネクロポリス (上)(下)」

 恩田陸さんの「ネクロポリス (上)」と「ネクロポリス(下)」を読みました。

あらすじ

 舞台は、日本でもイギリスでもない架空の国「V.ファー」。双方の文化がミックスされた、奇妙だけど日本とも通じる何かがある近くて遠い、とある国。この国では毎年決まった時期に「ヒガン」と呼ばれる行事が行われる。ヒガンは「アナザーヒル」と呼ばれる、鬱蒼とした森で覆われた小高い丘で執り行われるのだが、驚くことなかれ、この丘では「死者」と交流ができるのだった。生きている人間と同じように、よく食べよく飲みよく喋るかつて死んだ者たち。生きている人間は、その好奇心から、あるいは、今は亡き愛する者に再会しようと、アナザーヒルに訪れるのだった。

 主人公は、日本で文化人類学を専攻している大学院生・ジュンイチロウ(通称・ジュン)。ジュンはV.ファーの親戚の伝手で、この不思議でいっぱいの伝統行事ヒガンに参加することに…。よそ者であるジュンは一体アナザーヒルで何を見聞きするのだろうか…?そして、ジュンが訪れたヒガンは例年とはどうやら異なる雰囲気でもあるようだ。というのも、この年、V.ファーでは猟奇的な連続殺人が何件も発生していたからだ。犯人はまだ見つかっていない。ヒガン中に訪れる死者たち(これを「お客さん」と人々は呼ぶ)は「嘘をつかない」。猟奇的犯罪者の足取りがつかめないなか、既に亡くなった被害者がお客さんとして現れたら…?V.ファーの人々の期待と興奮はどうやらこのあたりにあるようだ。

 長い伝統がある行事だけれど、今年は少し違う。人々の予感は、次々と発生する「異例」な出来事を経て次第に確信に変わっていく。ヒガンは無事に終えることができるのか?「お客さん」は何故アナザーヒルでは存在できるのか?アナザーヒルは一体どんな場所なのか?不思議が不思議を呼び、さらには猟奇的犯罪者の影もちらちらよぎる、ダークファンタジー! 

です。

 

印象的だったこと

とにかく喋るのが大好きな、V.ファーの人々

 V.ファーの人たちは実によく喋る。何でも楽しんでしまう大らかさと、悪く言えば悪ノリも得意な国民性。ジュンがヒガン中共に行動する親戚のハナやマリコ、リンデやシノダ教授も例外ではなく、終始彼らは喋りっぱなしなのである。「この人たちよく喋っているなぁ…」と思うけれど、不思議とその会話の内容を思い出そうとしても思い出せない。会話が空気のように自然なもので流れていってしまうのだ。だけど、物語の世界に浸りながら、彼らの会話に耳を傾けていても不思議と嫌悪感は感じない。誰かを意図的に悪意をもって陥れるとか、そういうじめじめとした印象がないからだろうか。どこまでも乾いていて、さっぱりとしている。V.ファーの人たちの会話は面白い。会話自体の内容が学問的というか、「頭の良さそうな」会話をしているのも要因ではありそうだ。

 

興味深い数々の風習

 この物語では実に不思議な風習が数々存在する。まず「ヒガン」の名前だってそうだ。日本の「お彼岸」を間違いなく連想する名前。他にも、V.ファーが日本とも縁ある国と言うことで、「行列提灯」とか(ここでは共同体の重役に対する抗議として使われる)「ガッチ」という恐ろしい行事とか(どういう風に恐ろしいかはぜひ本文を読んでいただきたい)。「ガッチ」は「合致」から来ている。他にもアナザーヒルに入るヒガン参加者を迎えるは大きな「鳥居」だし、とにかく、明らかに日本ではない西洋の香りを感じる世界なのに、そこかしこに日本文化が入りこんでいる、それが絶妙な配分である、というところに恩田さんのすごさを感じるのである。

 

重なり合っている世界

 物語の後半になるにつれ、じわじわ少しずつだったアナザーヒルの変容のスピードがどんどん増していくことになるのだけど、そこで浮かんでくるキーワードが「世界の重層化」ということかもしれない。こうして普通に見えている世界は、実はいくつものセロファンが重なり合っているもので、私たちは1つのセロファンからでしか世界を見ていなかったりする。忽然と我々の前から消えた人々は、もしかしたらそこにいるのかもしれないのに私たちからは見えなくなっただけなのかも。すなわち、私たちが見ているセロファンとか違うセロファンに移っただけ?云々。

 幽霊だって、今の技術では限られたセロファンしか解明することができないだけで、もっと世界は色々なもので重なり合ってできているのかも。だけど、人はセロファンは1つだけしかないと信じようとする。特に現代社会では。

 

卵(かきたま汁)

 占いに卵を用いているのが面白かった。

 V. ファーでは、占いに卵を用いて、卵がどうなったかによって運勢を知るのですって。そして、面白いことに、占いに使った卵は料理に使ってしまうのです。これも不思議な習慣ですね。日本だと、、、、節分の豆とか同じようなものなのかな。つまり、あれは占いではないけれど、豆は年の数だけ食べますものね。

 物語では、色々あって占いに使われた卵はかきたま汁になったのだけれど、そこまで読んでいる限り西洋の人っぽいハナやマリコたちが「かきたま汁作ったわ~」って言ってみんなで食しているシーンは、ちょっと違和感と賛同したい気持ちで複雑でした。かきたま汁美味しいですよね。私も大好き。

 

黒婦人

 そして、私の印象に残った登場人物は「黒婦人」。彼女は幾度となく男性と結ばれているのに、彼女の夫になった男たちは次々と不慮の死でこの世を去っていく、謎めいた女性。実は夫に遺産をかけて、彼女は自身に寄ってくる男たちを次々と殺めてきたのでは…と噂される女性。疑心が付きまとう彼女は「黒婦人」と人々から揶揄の意味も込めて呼ばれるのであります。

 主人公のジュンは、物語の途中で黒婦人に出会い会話を交わすのですが、ジュン目線で語られる黒婦人ことメアリが、何ともかっこよく見えました。自分の哲学で、自分の意思ではっきりと生きてきたような雰囲気は憧れすら抱いてしまいます。

 

違和感があるものを新鮮な気持ちで

 この物語を読んで今考えていることは「違和感を大切に流さず不思議と思おう」ということです。この話はどちらかというとミステリーでありファンタジーでありホラーであると思いますが、ちょっとわかるけどやっぱり違う世界、が舞台。たくさんの不思議でいっぱいです。この「ちょっとわかるけど」というのがこの本の素晴らしいところで、完全に別の世界って思ってしまうと逆に不思議と思えなくなるのではないかなと思うのです。なんだか「ハリーポッター」と似ていますね。

 あの不思議な魔法の物語があれほどまでに私の心をわくわくさせるのかというと、ダイアゴン横丁はイギリス・ロンドンの片隅に確かに存在しているし、9と3/4線はキングズクロス駅にあるのです。現実世界から全く切り離されていないファンタジーは、「もしかしたら私だって…」という当事者意識を読み手にもたらしてくれる不思議なものなのです。

 この作品に限らず、恩田陸作品に何度も登場する、現実の端っこで存在する不思議から広がったファンタジーは、きっとマンネリ化した日常をちょっと楽しくさせてくれる。だから「およ?」と普段から思う訓練をしていきたいなぁ、なんて思いました。

 

 恩田陸さんの「ネクロポリス(上)(下)」を読みました。

ネクロポリス 上 (朝日文庫)

ネクロポリス 下 (朝日文庫)