この本を手に取ったときの私の考えは「他の人の自分取扱書を読みたい」であり、あわよくばそれを私も取り入れたい、だった。ちなみに、この動機は私がインターネットを回遊する根底にある感情であって、様々な情報を手に入れるときにも当てはまる。人はどのように試行錯誤しているのか。もっと言うと、何を考えるのか。
柴崎さんは作家で、私は何冊かその本を読んだことがある。柴崎さんはこの度ADHDと診断されらことになり、それを踏まえてこの本というものは出来上がったようだ。
ADHDとASDという状態(障害とか病気とか特質とかという表現をしてもいいかもしれないが、ネットで調べたサイトの中の説明の「〜という状態です」を元に、状態、と表現します)というのは前々からとても気になっていて、程度の差こそあれ、ADHDやASDと診断されない人の中にも同じような性質はあると思っているからである。自分の中にあるADHD的な、あるいはASD的な性質に何か活かせるものはないかなと、思ったわけである。
読んでいて、なるほどこれは大変だわ、と思った。私は普段生きていて、いわゆる脳疲労的なもの、夜になると頭の中がぐったりして何もできなくなることをなんとかしたいと思っているのだが、それがもっとひどいとしたらめちゃめちゃ大変そうだなと思う。柴崎さんの困難は、実感を元に理解できそうなものもあれば、想像するしかないこともあった。
たとえば電車を乗り過ごしたとき、私はパニックにはなるが、すぐにビビビビと最適(かもしれない)解を算出して迷わない。なるほど柴崎さんはこんな風になるのか、めちゃわかるけど、途中までは同じかもしれないけど、羅列したパターンを瞬時に評価して重みづけをして演算するのが難しい、可能性の海に溺れちゃうのかもなあ、わかる、わかるけど私は多分可能性の海に溺れるのが嫌で、諦めて決めるんや(決められる)と、その違いが興味深かった。可能性の海に溺れる感じがあるなら、それはしんどいと思う。
ADHDやASDの困難を、価値観や社会制度、薬で緩和したりコントロールできたらいいと思う。一方で、そうした特性の人がもつ強みを上手く生かせるような社会になればいいと思う。
何にせよ、ADHDやASDの状態の人の特性や困りごと、思っていることを理解し、それは個々人で違うということも弁えられるようになりたい。そして彼ら彼女らの見る風景から色々なことを学びたいと思う。
余談だけど、タイトルがすごくいい、