8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

江國香織『はだかんぼうたち』感想

 江國香織『はだかんぼうたち』を読みました。

はだかんぼうたち (角川文庫)

 

 (私は単行本の方を読みましたが、文庫の表紙かわええ…。)

 さておき、読みました。着々と江國作品を読んでいっております。

 『はだかんぼうたち』は比較的狭いコミュニティの人間関係がかなり複雑で、唐突に登場するよくわからない人物たちが読んでいくと「ああ、あの人ね」とクリアになっていく感覚が面白かったです。江國さんって『去年の雪』然り、唐突に人間を登場させることもあるのですよね。なんだろう、この唐突さは小説として別に珍しく無いのだけれど、読者を振り払う見事な登場の仕方なので読んでいてすごく目立ちます。作中の彼ら彼女らの人間関係で考えれば別に唐突でもなんでもないのだけれど、読者は「誰、この人」となること間違いなし。スポットライトを急に当てる感じです。

 この作品では個人的に気になる登場人物が二人、主人公の一人であるヒビキ(響子)の母親である和枝の恋人である山口、そして和枝が大家である下宿に住む大学生の安寿美。安寿美は物事を俯瞰する立場にいないながらも、仙人のようにふわふわと何か超越したような、そういう風に感じました。彼女自身はいたって普通(そして真面目)な大学生なのですが…この感覚がどこから生じるのか不思議ですが、おそらく彼女だけ他の人物からあれやこれや言及されない立ち位置だからなのではないかと思います。

 それに関連すると、山口という人物の描かれ方が面白かったです。響子からは亡き母親が恋した男性であるという信頼、響子の夫である隼人は嫌悪に近い感情を、下宿人の安寿美は郷土の土産をおすそわけしたくなる大家(仮)だけれど、この人大丈夫かなあ、あと良い家人ではなかっただろうなと思われる人。

 本来人間というのは他者の数だけその人があると思うので、なんら不思議ではなく当然のことなのですが、絶対的なこの私なるものがあると思ってしまいがちなので、山口に対する印象の差異は読んでいて面白かったです。なんでしょう、山口をどう判断するかがそのままその人の人となりを表している感じがあって、彼はそういう役目を担う人だったのかなと思いました。

 『はだかんぼうたち』というタイトルが読んでいくうちに腑に落ちてくる、だけれどどうして納得するのかわからない。そういう小説でした。

アガサ・クリスティー『スリーピング・マーダー―』感想

 アガサ・クリスティーの『スリーピング・マーダー』を読みました。

スリーピング・マーダー

 

 ※ネタバレありです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に言っておきたいのですが、新婚グエンダの旦那さんが犯人じゃなくて良かった!本当に良かった!最悪、それだけ言えればいいです!でも感想を続けます。

 やっぱり犯人が当たらない。クリスティー作品を読んでいるはずなのにな。最後まで「グエンダの夫が犯人だったらどうしよう…めそめそ」と思っていました。結果的にはグエンダの義母ヘレンの義兄が犯人でしたが、うーむ、クリスティお得意の焦点ずらし(犯人候補は三人ほどいたが、ケネディ医師はそこには入ってなかった)に騙されたのでした。まあ、ジャイルズじゃなくて良かったです。

 ミス・マープルの行動力に驚きです。やっていることはお節介なおばさんなのに、お節介さがマイルドになっているのは彼女の聡明さ故でしょうか。同じことをやってもはた迷惑に思われる人もいるだろうに。だからこそこれほどまでに多くの人に彼女が愛されているのでしょう。頭の中に豊富な人物批評データベースを持ちながら、それに変に依拠しない、こだわらない、固執しない、偏らない、彼女のバランス感覚が好きです。

千早茜『正しい女たち』感想

 千早茜『正しい女たち』を読みました。

正しい女たち (文春文庫 ち 8-4)

 様々な女性たちが登場する短編集です。

 読み終わって、タイトルの『正しい女たち』について考えていたのですが、何において正しいのだろう? と、ふと思ったのでした。私の思い付きは「自分の信念に」正しい女たち、です。

 自分の信念は不変的であるという意味において絶対的に固定されるものではないが、同時に柔く脆いものでもない。可変的で力強いものだと感じます。そんな強い信念を持ち、生き方で以てそれを体現しようとしている人は、どんな信念でもかっこいいのではないかしら、と思いました。

 私は『幸福な離婚』という短編が好きでした。

平野啓一郎『マチネの終わりに』感想

 平野啓一郎『マチネの終わり』を読みました。

マチネの終わりに(文庫版) (コルク)

 

 ネタバレになると思いますので読もうと思っている人は注意ください。

 

 

 

 私は元来、勘違いや誤解をベースとした物語が苦手です。コントなどお笑いのネタでもあることですし、ドラマやアニメなど創作にも登場すると思いますが、勘違いや誤解でずれてしまった、脇に逸れてしまったものを「傍流」と呼ぶならば、本筋(「本流」)が例え残酷なストーリーだとしても、本流であるべきだ、と思ってしまう。この「べきである」と強く思ってしまう心の働きには何があるのだろうと自分でも不思議ですが、誤解・勘違いによってみるみるうちに傍流を流れていってしまう様子に私は耐えられなくなるのです。

 『マチネの終わりに』はとある誤解から、蒔野聡史と小峰洋子それぞれの人生の線が離れていってしまう物語でした。読んでいってつらかった。それはこの二人に心を寄せていたからではなく、ただ二人の人間の人生が「そうあるべき」というものから逸れていくことの痛みからでした。私は神様なのでしょうか。

 考えてみれば「そうあるべき」というのは誰が決めたのでしょう。そういう「正解」みたいなものがあるのでしょうか。私は無いと思っています。なのに、蒔野聡史と小峰洋子は運命の二人だったと思わざるを得ない。この矛盾をどうすればいいのでしょう。

 なかなか難しい話でした。難しいことを話していると思ったけれど、「過去は未来のある時点の解釈でいくらでも変容する」というような話はよくわかると感じました。

 本というのは読む人によって解釈が様々ですが、この本は話題にもなったし比較的多くの人に読まれている作品ではないかと思います。そしてこの本を読んだ名も顔も知らぬ他者をふうわりと頭の中で思い浮かべたとき、おそらく読書の感想は私と違うものになるでしょう(当たり前のことですが)。その当たり前の事実を深々と考えてしまうのでした。他の人はこの話をどう読んだのでしょう。何を感じたのでしょう。私は「潔白」な話だなと感じましたが、あなたはいかが。

(実写化されているのは知ってましたが、蒔野=福山雅治、小峰=石田ゆり子と知った時は、「あーね!」と膝を打ちました)

恩田陸『スキマワラシ』感想

 恩田陸『スキマワラシ』を読みました。

スキマワラシ (集英社文芸単行本)

 

 作中の季節が夏ってわけではないのだけれど、これは夏に読みたいなあ…と思わせる鮮やかな青と涼しげな少女の表紙が印象的。

 気になって書店でぺらぺらとめくった時に抱いた印象はそれとして、読み進めるうちに少しずつこの本に対する印象が変容していった気がします。二人の兄弟が何かを探していく話なのかと思っていたけれど、《探し物》にありがちな青っぽさがそこまで気にならないというか。これはあくまで個人的な感想ですが。

 おそらくその理由として、大いなる謎に挑んでいく謎解きでもありつつ、時々出現する「スキマワラシ」と対峙するシーンがホラーっぽくかなり「読ませる」からだと思います。他の人はどうか知らないですけれど、私は結構怖がりながら読みました。恩田さんの表現力でホラーは怖いです。

 タイプでいうと『消滅』っぽい話だなと思いました。現代に生きながら、未知の事象、予期せぬアクシデントに見舞われ、いつの間にか巻き込まれていく話。「何故他でもない現代に生まれついてしまったのか」という太郎の問いは、ハッとさせられるものがありました。生まれついたのだからそういうものじゃない?そこに意味を見出すのは人間が好きなことでしょ、とは思いつつ、そんな風に時代を俯瞰して見ることができるのは、骨董を扱う仕事をしている太郎だからこそだと思いました。私も最近古典作品(1月からアニメをやるのに先駆けて先行で配信されている『平家物語』を見て、思わず河出書房新社古川日出男訳を買ってしまった私)を読んでいて、太郎の時代感覚みたいなものの片鱗に触れた気がしました。歴史って大切。

 また、『消滅』で飛行機に乗るのが好きな人が出てきたように、本作では兄の太郎は引手を磨くのが好きという好事家。恩田作品って妙なこだわりや習慣を持った人がたくさん出てきて、そういうところも好きです。

 相変わらず主人公の兄弟がたくさん喋ってくれて楽しかったです。

江國香織『東京タワー』感想

 江國香織『東京タワー』を読みました。

東京タワー

 

 開架で何度も見かけそのたびにぱらぱらとめくり結局棚に戻していたこの本を読もうと思ったのは、何度目かの立ち読みでたまたま読んだシーンがものすごく静かだったからだ。静かな小説を読みたかったので、丁度いいと思い借りることにした。静かであるという印象が裏切られることはなかったが、同時にとても情熱的な内容だったと思う。

 大学生の透と耕二は高校時代の同級生。二人のもう一つの共通点として、伴侶を持つ年上の女性との関係を持っている、というものがあった。透と耕二それぞれの視点でそれぞれが愛する女性との関係とその変化を描いていく作品である。

 度数の高い酒を呷る、喉が食道が胃が、かっと熱くなる感覚に似ていた。きりきりしてハラハラして熱い。

 印象的だったのは、透、耕二とそれぞれの年上の女性との間にあるものの性質の違いだった。うまく言えないけれど、透が詩史といるとき、彼の世界は拡張する。そのようなことを透は感じている。詩史と一緒にいると世界は広がっていく、と。逆に耕二が喜美子といるとき、ある種の視野狭窄ではないけれど、世界がどんどん深く狭まっていく印象を受けたのだ。耕二が具体的に「狭くなっている」とか「深くなっていく」とか「暗くなっていく」という表現をしたわけではないけれど、第三者的に見るとそう思えた。喜美子といるとき、耕二には喜美子しかいない。逆に喜美子にも耕二しかいない、のかしら。二人の女性の目線では描かれないので分からないけれども。

 江國さんのあとがきも秀逸だった。「あらあら」とか「あらまあ」とか心の中で呟きながら読んでいたことがばれていたみたい。

 倫理的にああだこうだと断ずることはできないし、するつもりもない。それぞれがひとつの出来事でしかなかった。そしてそこには第三者が知り得ない、彼ら彼女らだけの何かがあって、それは豊かなものなのだと思っている。

【雑記】読書の秋というけれど本当か

 2013年から読書メーターで記録をとっている。

 そして力技で読書メーターで記録していたものをExcelに落としこんだのが昨年。以来、読書メーターだけでなくExcelでも簡単に記録をつけている。その理由は単純にデータとして処理したかったからだ。

 で、そういえば、と思って、2015年から2020年までの月別読書数の平均を出してみた。2013年は1月から12月フルのデータがないこと、2014年は全く読まない月があったので外した(ちなみに8月)。

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 この表から以下のことがわかる。

  • 読む月と読まない月の差は6冊くらい
  • 1月、4月、5月、8月が比較的読まない月らしい
  • 10月(秋)頑張っているけれど、夏の6月7月にも結構読んでいるっぽい
  • 年始にかけて「読まねば!」という謎の焦りみたいなものは無さそう

 それぞれコメントしていこう。

読む月と読まない月の差は5冊くらい

 もっとも読まない月である1月は7.3冊、いちばん本を読む月は7月の13.3冊。月平均が10冊程度の私なので、最多と最小の差が6冊ってのはなかなか大きい差では?読むペースが2倍違うということになる?(ならなくない?)なるほど、なんとなく感覚として理解できた。

 あとは2015年から2020年の6年間で月の読書量が3冊以下があったのは、1月と8月(6年間で2回)なので(他には2月と9月それぞれ1回)まあこの月が調子悪い月と言えるかもしれない。

 1月と4月と5月で読書量が他より劣るのは何となく説明できる。1月と4月は物事の切れ目。社会が切り替わる月だから精神的にもばたばたして落ち着かないのだろう。5月は五月病みたいな言葉があるので察し。

 そして8月だ。平均だけ見るとわからないだろうけれど、各年各月見ていくと、8月は好調な年と低調な年の差が激しい。ちなみに今年は【低調】だった。この夏何をしていたのかほぼほぼ思い出せない。

 もう少し長くデータを取れば傾向が掴めてくると思うので「8月、調子の差が大きい説」は仮説の段階だけれど、暑さ耐性があるということと、本を読むゆとりを持てるということは別なのかもしれない。8月は暑い。暑いと本を読む気力が湧かない?

 

読書の秋なのか?

 そして読書の秋は本当なのか問題。結果から言うと、読書の秋だけでなく、読書の夏でもあった。

 読書の秋の由来は多分色々だが「気候的に安定していて夜が長くなる」というのがポイントらしい。そのうち、前者の「気候的に安定している」というのは、私にとっては6月7月も同様。雨は気分の低調にあんまり関係ない(雨は好き)。後者の「夜が長くなる」というのは、私にとっては重要な要素ではない。朝昼晩問わず本を読んでいるので。むしろ朝起きて気持ちがいいタイミングでゆったりと本を読むの最高じゃないですか、夜眠たいし。

 

読書と精神

 私にとって、読書と精神の調子は関わり合っていると思う。調子が良ければ読書量が増えるのか、読書量が落ち込んでいるから気分がふさぐのか、鶏が先か卵が先かではないけれど、両者は相関し合っている、と思い込んでいる。端的に言うと、本を読む私のことが私は好きだが、本を読めていない私のとき、私は私を好きではない。

 本を常々読んでいて思うけれど、私は安定したペースで本を読むことはできない。必ず波がある。本を読めていない時は悲しいが(今年の8月も悲しかった)いずれは回復することも経験上知っている。なので読めない時も過度に悲観することなくどうにか日々を過ごせればいいと思う。

 さて、年末に向けて読書の秋である。引き続き楽しく本を読んでいきたい。