8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

【雑記】5回目の8月4日

 今まで、淡々と同じフォーマットで投稿するよう心掛けてきた。それこそ「書庫」なので、本の感想以外の余計なことは書かないように、と思って投稿を続けてきたのだ。唯一の例外はこの記事で、どうしてこの投稿をする気分になったのかいまだによくわからない。

【雑記】読書の秋というけれど本当か - 8月2日の書庫

 これからも「本の感想以外は投稿しない」というスタンスは変えないつもりだ。書庫なので。じゃあ、この文章はというと、例外になるのだろうな。5年もブログを続けてきたのでいつもとは違うこともやりたくなったのだ。私と本にまつわることを少しだけ書いてみる。

 

Q1. 本に関するもっとも古い記憶

 正直よく覚えていないが、絵本の『ヘレンケラー』を小学二年生の時に読んだ記憶がある。

 

Q2. 本を読み始めたきっかけ

 家族の中で本を読む人間はいなかった。祖父母の家にも本はなかった。そんな私がいつ本を読むようになったのかというと、小学3年生の頃だ。今思えばユニークな学級で担任が様々な工夫を凝らしていたのだが、その中のひとつに読書ノートがあって(手製の白厚紙)誰よりも本を読みたくてとにかく本を読んだ。本を読めばノートが分厚くなるから。

 あとは、図書室がある種の「聖域」だったこともある。いじめられていたわけではなかったのだが、たくさんの子と一緒の空間にいるのがひどく疲れることがあったので、息抜きに図書室によく足を運んだ。図書室に一人でいても奇異な目で見られないからとても安心した。誰とも話したくなくても、話しかけられなくても本を読んでいれば存在を許されるような気がしたから教室でも本を読んでいた。

 

Q3. 好きな作家

 恩田陸江國香織

 

Q4. 読むジャンル

 日本文学、海外文学、社会学系等。割と雑多。貸出期間をオーバーすることもあり読み切れないことも多い。

 

Q5. 読むスピード

 ネットで調べたら「975文字/分」だった。体感、3日に1冊読むかどうかのペースだけれど、ここ数年は低調である。

 

Q6. 読書スタイル

買う?借りる?

 圧倒的に借りてる(2週間に1回は図書館に行って本を返して本を借りている)。そもそも買う本は一度読んだことがある本 or 絶対的信頼を置いている作家の本しか買わないと決めている(金がなくなるから)。加えて、時々冒険で全く知らない作家の本で気になったものを買う、ってのもやっている。

紙?電子?

 圧倒的紙(漫画は電子書籍にするようになった)。ページ数で残りがどれくらいか感覚でわかるのって大切だと思うのです。あとは単行本ならではの装丁を楽しんだり、本という物体を楽しむことができるのも紙の良さ。

文庫?単行本?

 圧倒的単行本。買うなら単行本。せっかく買うのに文庫本で買うの意味わからんって思っている。

読む場所

 圧倒的電車の車内。

読む時間

 移動中が多い。あとはパスタ茹でてるとき。電子レンジで温めるのを待つとき。テレビCMの間。

持ち歩く本の数

 2冊と決めている。なので必然的に小さい鞄は使えない。

 

Q7. 死ぬまでに読みたい本

 

Q8. 本を読んでよかったと思うこと

  • 語彙が増える
  • 知識が多少は増える
  • 毎日楽しい
  • 考えを相対化できる

 

Q9. どうしてブログ始めたの?

 そもそも雑記ブログをやっていたけれど、本のことを書くと全体に対して本の占める割合が多くなるのがなんか嫌で分離した。あと読む本ってのはその人の人間性なものがどうしても透けて見えるので、ブログとしてあまりに情報量が多いだろうというリスクも少し考えた。とはいえ読む本が私のすべてではないのだが。

 

Q10. ブログ名の由来は?

 8月4日に開設したから。「本棚」か「書庫」で迷って書庫にした。できればドラえもんの四次元ポケットみたいに異空間に私専用の図書室を作って持ち運びたいし、困ったことがあればそこに逃げ込むようにできればいいけど、あいにく今の技術ではできないので「書庫」という言葉に願望も込めている。

 

Q11. ブログをする上で気を付けていること

  • 頑張らない
  • 書きたくなければ書かない
  • 雑でいい
  • 人を傷つけそうな表現がないかは考える
  • あらすじは書かなくていい
  • 誰の為にも書かない(誰にも薦めない)
  • なのでわかりやすく書こうとも思わない

 

Q12. 今後の展望

  • 読むペースが低調なのでもう少し本を読めるようになりたい
  • 色々な本をちゃんと読み通す
  • 血肉にする
  • 電車以外の場所でも読めるようになる

 

 ということで、よほどのことがない限り終わらなそうなブログである。このブログが終わるとき、それは、本が読めなくなったときぐらいではないかしら。

 読書というのはひとつの趣味として捉えるのが無理なほど壮大な行為で、好きな本とか好きな作家が被ることって実はあんまりないのかもしれない。そもそも日常生活で本を読む人に出会わない(学校や職業など属しているコミュニティにもよるのかもしれない)。その中で読書ブログにできることがあるとすれば、誠実に(何に誠実だ?)自分の趣味嗜好に即して淡々と投稿することではないか。読む本はその人の個性。完璧にそれらが合わせることはないにせよ、人生のほんの一瞬だけすれ違うということはできるかもしれない。

平出隆『私のティーアガルテン行』感想

 平出隆『私のティーガルテン行』を読みました。

私のティーアガルテン行

 

 ティーガルテンというのはドイツ語で「(小型の)動物園」らしい。とはいえ、動物園のことに関する本ではなく、本文中の言葉を借りるなら「わが迷宮のいくつもの入口の部分について」の本である。

 エッセイというのはいい。ブログというのもいい。書き手の一切を知らなくても読んだ後にはほんの少しだけ書き手に近づけたような気になれるから(それは錯覚かもしれないけれど)。あとは、自分とは異なる人間の半生を垣間見ることができるのもいい。それは私の本を読むモチベーションのひとつだろう。自分以外の人間のことが知りたい。

アガサ・クリスティ―『蒼ざめた馬』感想

 アガサ・クリスティ―『蒼ざめた馬』を読みました。

蒼ざめた馬 (クリスティー文庫)

 

 はい、騙されました。クリスティのミステリで犯人を当てられた試しがないのだけれど…それは読者としては優良なのでしょうが、当てたくなくて当てられないわけではないから悔しいです。

 人を呪術で殺すことができるのか? それが最後の最後まで物語の底辺を流れていて嫌な感じがしました。それもクリスティの狙いなのでしょう。悔しいなあ。物語の冒頭で主人公のマークが女同士の修羅場に遭遇するのですが、それも実は重要なシーンでして、終盤で感嘆の溜息が出てしまいました。ミステリ作家ってどういう頭をしているのだろう。伏線を物語に散らすことはできないわけではないですけれど、肝要なのは、さりげなく自然に紛れさせることなのでしょうね…。

 クリスティは殺人の動機として怨恨よりは遺産目当てなパターンが多いのだけれど、どちらにせよ誰か具体的な他者に死ぬことを望まれるってのは寂しいものだなあ、なんてことを考えていました。

辻村深月『傲慢と善良』感想

 辻村深月の『傲慢と善良』を読みました。

傲慢と善良

 

 かねてから読みたかったということを忘れていたけれど、体が覚えていたのか、本棚から引っこ抜いて借りた本です。借りてから「あ、そういえばこの本読みたかったんだっけ」ということを思い出しました。辻村深月は良くも悪くも「えぐってくる」話を書く作家なので、調子が悪い時に読むと崩れるぞーいという怖さはあったのですが、本当に駄目なら引き返そうと心に決めたうえで表紙をひらき、読み終えることができました。まあ、傷はついた。けれどそこまで深い傷じゃない。

 四十という台に乗ろうとする男と、三十半ばの女の、結婚をめぐる物語。

 『傲慢と善良』を説明するならそういうことになるのでしょうか。

 読者の多くは「何なの君たち」と架(男の名です)と真美(女の名です)に呆れたり憤ったりするのでしょうか。ちなみに私はそうだったのですが…。読みながらイライラしたし(この二人だけでなく、この物語に登場する人たちにはたくさんイライラさせられました)ばっかじゃないのと思った。でも、本人たちにとっては切実で、彼、彼女と自分がまったく違う人間だとも思えなかった。自己肯定感は低いのに自己愛は達者。グサリ。

 まずその点について書くのであれば、やっぱり「離れる」ってのが一番じゃないかなと思いました。自分から、離れるということです。真美は物語の後半で、この時ばかりは自分で決めてある行動に出ます。その行動によって彼女はいくつもの発見をするわけですが、行動中の彼女のモノローグは全然、脂こってりじゃなかった。自意識過剰でもなかったし世界に対してすごくフラットだった。自分から自分の外へまなざしを向けるということ。これは私が人生のどこかで思ったことです。自分のことばっかり考えても未来はないなあと思ったあの日。その点は自分の実感のようなものに紐づけて考えることができてすごく腑に落ちたところでした。

 あとは、この物語のひとつのキーワードとして挙げられるであろう「婚活」。まずは現在結婚ができるのは男と女という異性のペアであるということ(同性婚は認められていない)を念頭に置いた上で、婚活とは、とは、とは、とは???と、はてなばっかり。選ぶとは? 選ばれるとは? 選ぶ、選ばれる、でも結婚できない人もいる。いいや、この物語は結婚したくてもできない人の話は出てこない。そういう人たちは最初から存在していない。そういう物語であることに対して嫌悪も何もあるわけないが(物語だからね、悲しいことに)じゃあ、婚活で前提で共有されているのは、何? 恋愛感情なのかな。そこがよくわからなかったです。婚活する人は、恋愛をしに来ているのではなく、結婚しに来ているのだよね? どうして結婚したいの? 私にとってははてなばっかりのことについての深堀がまったくされないまま進んでいく(というか過去を回想するから「進んでいった」)婚活についていけない、ついていけないことは悪いことじゃないはずだけど、小野里さん(という人が作中登場します)に冷水浴びせられそうで嫌だなあああああああ、となりました。みんな結婚をぜんぜん疑わないよね、なんで?

 結局、頭で、脳でうだうだ考えていた前半の重さを、後半の身体性あるエネルギッシュな感じ、その加速が振り切る感じが良い読後感だったと思います。人間って、ほんと不思議。

坂口安吾『明治開花 安吾捕物帖』感想

 坂口安吾『明治開花 安吾捕物帖』を読みました。

明治開化 安吾捕物帖 (角川文庫)

 

 なぜこの本を本棚から引き抜いて読もうと思ったのか、まったくもって思考回路が不明なのですが、とにかく読みました。一体何を思ったのか。坂口安吾、読んだことのある作家でもないしなあ。

 とはいえ、面白かったです。短編の推理小説。最初の方こそ文体に読みにくさがあったけれど、後半が近づくにつれその読みにくさもどこへやら。私が安吾の文体に慣れたというよりは、連載を追ううちに安吾の文体も変化したと考えます。読みやすくなった。

 私のお気に入りは「万引一家」と「覆面屋敷」。両方とも、旧家名家の謎に迫るものです。前者は名家の母親と娘が万引き癖がありつつ、という話、後者は覆面を被って屋敷の奥に引っ込んで姿を見せることのない兄の話。それらの謎が興味深いだけで、この話に限らずどの話も悲しい話に違いはないです。推理小説というのは人が亡くなるなら大概は悲しいものです。

 坂口安吾1906年生まれで48歳で亡くなっているのでもちろん明治時代に生きた人ではありません。作中、どこまで「明治的なもの」かはわかりませんが、らい病やてんかんに対する偏見というのが時々登場し、登場するたびにざらっとした感情が胸に起こりました。

 それは差別や偏見が不快だというのではなく(前提として差別や偏見は駄目なのですが)差別や偏見がごく当たり前にあったこと、それは現代社会だって同じなのだということを考えさせられるからです。らい病やてんかんについては正しい知識が広がっているわけですけれど、例えそういう知識がなくても、差別しないという姿勢をとることができるのか、云々。じゃあ、この世の中に生きていて、まったく差別していないと言えるのか? 言えないな、とか。

 誰が悪いとか何が悪いとかではなく、「じゃあ自分ならどうするのだろう」とゆっくり考えられるのが小説のいいところです。他の表現はちょっとスピードが速く感じる。

 ああ、あと探偵の新十郎がさっぱりしていて全然湿っぽくないのもよかったです。自分語りをせず滔々と事件を解決していく。新十郎の主義主張があんまり見えてこない、前面に出てこないので、あっさりと読める、という良さがあるかと思います。逆に言うと、新十郎に言わせるのではなく、読者のおめーらで考えやがれ、って感じなのかなあ。

 安吾といえば『堕落論』か…。読むかなあ。

 

 

アガサ・クリスティー『死の猟犬』

 アガサ・クリスティの『死の猟犬』を読みました。

死の猟犬 (クリスティー文庫)

 

 短編集。率直な感想を書けば「クリスティ、こんな話も書けるのか」と思いました。じわじわと少しずつ圧迫感を強めてくるのは『そして誰もいなくなった』でおなじみ、かの作品が好きな人は好きになれる話も多いような気がしました。『検察側の証人』を除けばホラー・怪奇テイスト強めな話が勢ぞろいですけれど。

 私は特に『最後の降霊会』が強く印象に残っています。

 シモーヌは絶望したように両手を前へ突き出した。
「まあ、どうしてわたしをいじめるの」と彼女は呟くように言った。「そりゃああなたの言うとおりよ。あなたのお望みどおりにしたいけど、今やっと自分が何をおそれていたのかわかったの・・・・・・"母親"って言葉なんだわ」

アガサ・クリスティ―『最後の降霊会』

 本編の主旨とは少し違うだろうけれど、愛情というのは愛情であるのと同時に呪縛でもあり枷であり抑圧でありタフネスであるということ。何かを想うことは、同時に何かを虐げること、蔑ろにすることにつながり、私は時々その傍若無人さが耐えがたくなるときがあります。そのあたりを端的にがりっと描いたこの話が私は好きです。

 

 にしても、読んでも読んでも読んでいない本が存在するクリスティーは素晴らしい作家だし、後世まで彼女の作品を読めるということがありがたいです。結構読んだつもりなのですが。数えたら25冊くらいか。1か月に1冊だと2年のペース。確かにそれぐらいですね。まだまだ彼女の作品で読んでいないものはたくさんあり、ゆるゆると読めたらいいです。

村上春樹『村上T 僕の愛したTシャツたち』感想

 村上春樹『村上T 僕の愛したTシャツたち』を読みました。

村上T 僕の愛したTシャツたち (Popeye books)

 

 スクエアな本の作りが好きです。

 村上春樹の小説はあまり読んだことがないのだけれど(短編1冊だけ読んだかもしれない)エッセイは比較的読む。内省的なところと、そこに対する自己ツッコミの加減が読んでて割と好意的に思えるから、というのが今のところ分析している理由だ。そりゃあ「はあ? ちょっと違くないですか」みたいなのは、ある。村上春樹に限らずあらゆる作家に対してある。本を読むということは「はあ? ちょっと違くないですか」をぐっと堪えてページをめくり続けることだと思っていて、それは本を読むことで学んだ教えのようなもので、つまり「○○が好き」ということは、すなわち「○○を全面的に肯定しています」とイコールではないことを申し開きしないといけないのか? と時々ブチ切れたい夜があったり、なかったりする。

 村上春樹のエッセイ読みますよ、と言うとする。じゃあ、小説も好きなんですね、と思われるかもしれない。実際は小説は好き嫌いとは別で読んだことがないのだ。そういうことである。

 村上Tとは関係ないことばかり書いてしまった。Tシャツ、私も好き。Tシャツとジーンズと冬はそこにパーカーを着込んで、というのが一応理想のスタイルなのだけれど、なかなか実現できていないのが現状である。Tシャツもたくさん持っているわけではないし…。だから読んでいて「負けたー」と思いました。Tシャツ愛について。いいえ、別に愛というものは競うものではないですが、それでも「負けたー」と思ってしまいました。あと、村上春樹は収集家であるという点は見逃せないポイントのように思います。コレクターなんです。