武田砂鉄『わかりやすさの罪』を読みました。
「わかりにくい」を断罪しない余裕と深みを持つ、ということを考える。他人の間違いを自分を優位に立たせるための手段にしない、ということは以前から考えていることだが、わかりやすさを所望してしまう心には、間違いは悪だという考えがあるようにも思う。迷うこと、揺らぐこと、そこに堪えられるだけの胆力を持つためには何ができるのか。
小林聡美『聡乃学習』を読みました。
エッセイを立て続けに読んでいると、当たり前ながら文体がそれぞれ異なることが不思議でならない。同じであることがあり得ないのにもかかわらず、これほどまでに文体が違うことに違和感を感じてしまう。その文体、どこから。
小林聡美さんのエッセイを読みました。エッセイはその人の着眼点を浮き彫りにするものなので、自分のものと違う視点に驚くばかり。また、自分より年上の方のエッセイを読むと気が引き締まります。それは遅かれ早かれ私も経験する未来の話であり、人は自分が当たり前だと思っていることはあんまり書かないものです。小林さんは自分の発見や驚き、疑問を、自分の状態を交えながら書いているので、「ほほう、そういうことがあるのだなあ」と勉強(という表現は適切では無いかもしれないけれど)になるのでした。
又吉直樹の『東京百景』を読みました。
単行本で読んだのだけど、装丁がめちゃめちゃ好きだと思った。あのぐらいのサイズの収まりの良さは、所有欲を掻き立てるものがある。デザインも素敵。
又吉さんの書くものを初めて読んだ。面白かった。色々考えている人なのだなと思った。この人に比べて、自分は想像力が豊かではないと思った。自分の思考パターンとして、あまりIfは考えないのかもしれない。一方又吉さんのエッセイには「もしも」がよく登場する気がして、世界がダブっているような感覚を覚えた。
村上春樹の『女のいない男たち』を読みました。
気に入ったのは「独立器官」と「木野」だった。つくづく私は小説をちゃんと読めていないのだなあと思うのは、こうして振り返ったときに何も思い出せないことである。「木野」については、彼が営むBARに行ってみたいな、とだけ(あれ、BARが出てくるよな?)余韻だけが残っている。空間と、「独立器官」の男の性質、そして秘書の律儀な感じが気に入った。ちなみに映画にもなった「ドライブ・マイ・カー」も収録されており、読みながら「一体これをどう映像化するのだ?」と映画も気になったので、そのうち見ることが叶えば見たいと思う。
イ・ラン『悲しくてかっこいい人』を読みました。
中でも「もう少し演技しないと」というエッセイが好きだ、と読書ノートには書いている。もうエッセイの内容は忘れてしまったけど。本を読むというのは、瞬間的な体験?だなあと思う。つまり、読んでいるときにこそ起きている体験。
愛情深い人だなと思った。好きになることが好きで、感情は瑞々しく飾らず疑問を疑問として呈し続ける人。それってとても難しいことだ。また、近影を見ていると、人間というのはその中でどんなことを考えているかはわからないなと思う。この人の中にはこんな言葉があるのか、という驚きが遅れてやってきたのだった。喋るだけでない表現方法があってよかったなと思う。
ベン・H・ウィンタース『世界の終わりの七日間』を読みました。
隕石が落下するまでの七日間、大切な妹に会うために終わりの世界を奔走する男の物語。世界の終わりが顕わにする人々の本性。最後の終わり方がとても(とても)良かった。それはこの物語を読み終えた人にしか共有できない良さだと思う。併せて、ceroのNemesisを聴くことをおすすめする。