8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

阿部潤『忘却のサチコ 1』感想

 阿部潤さんの『忘却のサチコ』第1巻を読みました。

 以前漫画喫茶で読んだことがあったし何なら7巻だけ持っている意味が分からない状態なのですが、このたび第1巻(こちらもこれだけ)を手に入れたので、読みなおしてみました。

 

あらすじ

佐々木幸子、29歳。職業、文芸誌編集者。

仕事は順調、結婚も決まり、

これまで完璧な人生を送ってきた。

あの日までは・・・!!

 

おいしいものを食べた時に得られる

“忘却”の瞬間を求めて、

ありとあらゆる美食を追いかける!!

絶品グルメ・コメディー、開幕!!

 だそうです。単行本の裏表紙に書かれているものをそのまま書き出しました。

 「あの日」がなんだったのかはさておき、なるほど「忘却」がテーマなのだな、と今気がつきました。タイトルにも「忘却」の文字が入っておりますが、「忘却」ね…。面白いです。

 

食べ物に限らず「忘却」できる何かを持とう

 サチコさんはあることがきっかけで、日常生活を送るなかで「煩悩」のようなものに襲われるようになってしまいます。煩悩のようなものと書きましたが、要は心ここにあらずの状態。仕事にも差支えが出て周りにも心配されるレベル。そんなサチコさんが束の間だとしても頭をまっさらにできる時間、それはとびっきり美味しいものを食べているとき…。ということで、話が進んでいく作品です。

 サチコさんはたまたま「美食」という手段に出会い、「忘却」することができる方法を図らずも知ることができたわけですが、別に「美食」に限らず、自分がどんな時に頭をまっさらにできるかを知ることは大切なことなのではないか、と思いました。例えばどんなときなのでしょう。私は運動しているときとか肉体を酷使しているときなど「忘却」しているかもしれませんね...。

 「忘却」の時を持たないと、人間は色々と不都合なことが起こりそう。ストレス発散という言葉もあるように、内に溜まった何かは放出しないとダメなものもあるのではないかと思います。

 

忘却の仕組み

 サチコさんの忘却っぷりをみてみると、忘却するには「集中力」が必要なのかなと思いました。夢中になること。目の前の対象にのみ意識を向けて、雑念を振り払うこと。美食については、とんでもなくおいしいことが集中力をもたらす存在なのでしょうな。

 

 

 グルメ漫画は世にたくさんあって、「その料理とてもおいしい」というシンプルなことを表現することは同じであるように思われるのに、そのシンプルなことに向かうアプローチが様々なのは、面白いところかもしれません。ただおいしいというよりも、説得力が増すからなのか。多くある作品を分けるのはそのアプローチの仕方、というのも面白いと思いました。

 

『忘却のサチコ 1』を読みました。

 

忘却のサチコ 1 (ビッグコミックス)

穂村弘『君がいない夜のごはん』感想

 穂村弘さんの食エッセイ『君がいない夜のごはん』を読みました。

 

 個人的な話をすると、これを書いている2017年は私的穂村さんYearである。穂村さんという人の本を知ったのが今年の初め。それから芋づる式に著作を漁る日々。文章が馴染みその人のスタンスもなんとなくわかるこのぐらいの頃が、とても楽しい。自分が「合う」作家さんとの出会いは、いつになっても楽しいものです。

 

 この本は装丁からぐぐぐっときます。私はこの本を本棚から引っ張ってきたので印象的な表紙をみたのは本を引っぱり出した後だけれど、この本は表紙を真正面にして多くの人に見てほしい。インパクトが強い本です。

 もう1つ装丁の話をすると、目次の並びとフォントがとても好きです。小さく横並びで書かれた目次。ああ、ぱっと見開いて一覧で見ることができるのか…いいなぁ。本文の内容はともかく「目次」を見ただけで手元に置きたいと思ってしまうなんて。こういうところがハードカバーの魅力だと思います。

 

 この本は穂村さんの「食べ物」エッセイ。食べ物エッセイと聞いてイメージするのは、「ごはんは大切だよね」とか「旅先でのご飯エピソード」とか「自炊してみました」とか、気合が入った文章を思い浮かべてしまうのですけれど(もちろんそういうエッセイも嫌いじゃない)穂村さんの場合、本当になんてことない話でほっとします。なんてことない日常のご飯の話なのに、穂村さんの見る世界が独特なのか切り口がすごいのか、文章力も相まってとてもユニークであります。電車で読んでいたけれど、ふふふ、と思わず笑ってしまう箇所が5本指じゃ足りない。両手を使っても足りない。そういうエッセイです。

 

 私がメモをしていた文章で、大いに頷いてしまうものだけ挙げて終わりにしよう。

 

 ホテルの朝御飯が好きだ。

 大きな窓から降り注ぐ陽射し、立ちのぼる湯気、静かに食器の触れ合う音、親密な話し声。いいなあ、と思う。

 

 ものすごく分かる。なんなら私はホテルで泊まることそのものが好きだ。どこにも旅行しなくていい。高いホテルじゃなくていい。さっぱりと無機質なホテルに泊まって何もせずにぼーっとしていたい。そして朝食はバイキングでもって柔らかな日差しの中モーニングコーヒースクランブルエッグとベーコンを食べるのだ。この組み合わせなら多分トーストなのだろうけれど、あいにく私はごはん党。

 

 人間は何かを食べないと生きていけないから、「食べ物に興味がない」というこだわり含めて人間の数だけ嗜好がありそうで、話は面白そう。そんなことを考えました。

 

 穂村弘さんの『君がいない夜のごはん』を読みました。

君がいない夜のごはん

 

津村記久子『ポトスライムの舟』

 津村記久子さんの「ポトスライムの舟」を再読しました。

 まだ学生時代だった頃にこの本を読んだけれど、その時の記憶がない。読んだことは記憶しているけれど、どういう内容だったのかまるで覚えていなくて、多分それは「ピンと」来なかったからだと思う。

 組織の構成員として働くということ。自分とは世代も価値観も性別も異なる人々と関係を築かなければいけないこと。何より、お金を稼ぎそれでもって日々を構築しないといけないということ。もちろん、今の私だってこれらをきちんと理解できているか、自分の足で生きているわけではないのだ。けれど、少なくとも以前読んだ時より主人公のナガセが身を置いている環境がイメージしやすくなった点で、今回読んだことの方が充実感がありました。うーん、でもこの話をもっと味わうためには、あと10年くらいしないとダメだなぁ。とはいえば、話を忘れることはないと思う。思いたい。

 

お金と価値と

印象的だったのは、主人公ナガセのこういうところだろう。

 目をつむったまま、家に帰ってからの予習がてらに、頭の中で手帳を開き、奈良から生駒までの往復の電車賃と、全員分をおごると申し出てしまった夕飯の飲み物代と弁当代を記した。

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 ナガセは工場での仕事と、パソコン教室の講師の仕事と、旧友のカフェのバイトを掛け持ちしながら暮らしている。工場の控室(だと思うけれど)の壁には、世界一周旅行のポスターとうつ病予防を啓蒙するポスターが並べて貼られている。世界一周のクルージングの費用は一六三万円。ナガセの工場勤務の年給とほぼ同額だ。

 ひょんなことがあって、ナガセは世界一周旅行に行こうと決める。この過程もものすごく面白い。何が面白いって、テンションが高くないのだ。一念発起して世界一周。この言葉だけ考えると、ものすごいテンションの高さを想像する。「俺は、私は、自分の退屈で変わり映えのしない毎日を、そして自分を変えるべく、世界を見てこようと思ったのだ!!!」という感じ。テンションの高さは「!」記号が3つも並んでいることからもうかがえよう。でも、ナガセは違う。ごく自然に、まるで息をするかのように、「今日の夕飯はカレーにしよう」と同じ高さで、

わかった。貯めよう

 と言葉にする。もちろん、貯めるのは一六三万円だ。こういうところがまずは魅力的だなと思う。

 一六三万円を貯めるために、ナガセはそれまでの慎ましい生活からさらに緊縮政策をとることになる。手帳を開き、その日使ったお金と用途を書く。例えば、久々に会う友人との交際費もきっちりと書く。例えば夕食に立ち寄った洋食屋の代金一一五〇円、とか。そうやってお金について考えているときのナガセは、だいぶ辛辣というか冷めている。彼女は多分冷静に物事を見つめる人間だと思うけれど、金という物差しを通してみる世界はかなり冷たく見えた。まあ、その友人に対する彼女の感情も混じってはいるのだろうけれど。

 私は、こういうナガセの姿勢を、「ケチ」とは思わない。自分にとって何が大切なのか、測る過程だと思うからだ。貯めると決めたときから、ナガセの価値尺度は少し変容しただけの事。

 自分の事を考えれば、案外価値を測り切れずなあなあにしているところも多かったりする。例えば、なんだろう、コンビニのおにぎりとか?私はおにぎりが好きで、コンビニに入るとついおにぎりを買ってしまうのだ。それって、流されているだけなのでは?と思うことも結構ある。そんなことを考えた。ふと。

 

一人で生きられるように

 テーマなのかはわからないけれど、この本を読んでいるときちんと自分で生きて行かねばな...と思わされる。特に女性という立場で。自立するためにはお金って大切なのだ。ナガセの友人であるりつ子やそよ乃という人物が、そのあたりを教えてくれる。

 

 

 一人でも生きていくこと、自立すること、そして自分をちょっとだけ変えること。

 そんなことを考えさせてくれる作品でした。表題作のほかに、もう1編作品が入っているけれど、安易な言葉で綴るなら今でいう「パワハラ」からの脱却、だろうか。こちらも同じく。他人に頭を押さえつけられた日々からの脱却、である。このフレーズがとても素敵だと思いました。

(中略)そんなことでのしかかる後悔が振り払えるとは思わなかったが、次は自分以外の誰かのこともわかることができるようにとツガワは強く願った。

 人の行為はこうして循環するのだなと思ったし、まず自分がきちんとしていないと他人のことを幸せにすることはできないのだなとも思いました。

 

 

 もう少し時が経ったら、もう一度読もう。

 津村記久子さんの「ポトスライムの舟」を読みました。

 

 

ポトスライムの舟 (講談社文庫)