津村記久子「ポトスライムの舟」

 津村記久子さんの「ポトスライムの舟」を再読しました。

 まだ学生時代だった頃にこの本を読んだけれど、その時の記憶がない。読んだことは記憶しているけれど、どういう内容だったのかまるで覚えていなくて、多分それは「ピンと」来なかったからだと思う。

 組織の構成員として働くということ。自分とは世代も価値観も性別も異なる人々と関係を築かなければいけないこと。何より、お金を稼ぎそれでもって日々を構築しないといけないということ。もちろん、今の私だってこれらをきちんと理解できているか、自分の足で生きているわけではないのだ。けれど、少なくとも以前読んだ時より主人公のナガセが身を置いている環境がイメージしやすくなった点で、今回読んだことの方が充実感がありました。うーん、でもこの話をもっと味わうためには、あと10年くらいしないとダメだなぁ。とはいえば、話を忘れることはないと思う。思いたい。

 

お金と価値と

印象的だったのは、主人公ナガセのこういうところだろう。

 目をつむったまま、家に帰ってからの予習がてらに、頭の中で手帳を開き、奈良から生駒までの往復の電車賃と、全員分をおごると申し出てしまった夕飯の飲み物代と弁当代を記した。

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 ナガセは工場での仕事と、パソコン教室の講師の仕事と、旧友のカフェのバイトを掛け持ちしながら暮らしている。工場の控室(だと思うけれど)の壁には、世界一周旅行のポスターとうつ病予防を啓蒙するポスターが並べて貼られている。世界一周のクルージングの費用は一六三万円。ナガセの工場勤務の年給とほぼ同額だ。

 ひょんなことがあって、ナガセは世界一周旅行に行こうと決める。この過程もものすごく面白い。何が面白いって、テンションが高くないのだ。一念発起して世界一周。この言葉だけ考えると、ものすごいテンションの高さを想像する。「俺は、私は、自分の退屈で変わり映えのしない毎日を、そして自分を変えるべく、世界を見てこようと思ったのだ!!!」という感じ。テンションの高さは「!」記号が3つも並んでいることからもうかがえよう。でも、ナガセは違う。ごく自然に、まるで息をするかのように、「今日の夕飯はカレーにしよう」と同じ高さで、

わかった。貯めよう

 と言葉にする。もちろん、貯めるのは一六三万円だ。こういうところがまずは魅力的だなと思う。

 一六三万円を貯めるために、ナガセはそれまでの慎ましい生活からさらに緊縮政策をとることになる。手帳を開き、その日使ったお金と用途を書く。例えば、久々に会う友人との交際費もきっちりと書く。例えば夕食に立ち寄った洋食屋の代金一一五〇円、とか。そうやってお金について考えているときのナガセは、だいぶ辛辣というか冷めている。彼女は多分冷静に物事を見つめる人間だと思うけれど、金という物差しを通してみる世界はかなり冷たく見えた。まあ、その友人に対する彼女の感情も混じってはいるのだろうけれど。

 私は、こういうナガセの姿勢を、「ケチ」とは思わない。自分にとって何が大切なのか、測る過程だと思うからだ。貯めると決めたときから、ナガセの価値尺度は少し変容しただけの事。

 自分の事を考えれば、案外価値を測り切れずなあなあにしているところも多かったりする。例えば、なんだろう、コンビニのおにぎりとか?私はおにぎりが好きで、コンビニに入るとついおにぎりを買ってしまうのだ。それって、流されているだけなのでは?と思うことも結構ある。そんなことを考えた。ふと。

 

一人で生きられるように

 テーマなのかはわからないけれど、この本を読んでいるときちんと自分で生きて行かねばな...と思わされる。特に女性という立場で。自立するためにはお金って大切なのだ。ナガセの友人であるりつ子やそよ乃という人物が、そのあたりを教えてくれる。

 

 

 一人でも生きていくこと、自立すること、そして自分をちょっとだけ変えること。

 そんなことを考えさせてくれる作品でした。表題作のほかに、もう1編作品が入っているけれど、安易な言葉で綴るなら今でいう「パワハラ」からの脱却、だろうか。こちらも同じく。他人に頭を押さえつけられた日々からの脱却、である。このフレーズがとても素敵だと思いました。

(中略)そんなことでのしかかる後悔が振り払えるとは思わなかったが、次は自分以外の誰かのこともわかることができるようにとツガワは強く願った。

 人の行為はこうして循環するのだなと思ったし、まず自分がきちんとしていないと他人のことを幸せにすることはできないのだなとも思いました。

 

 

 もう少し時が経ったら、もう一度読もう。

 津村記久子さんの「ポトスライムの舟」を読みました。

 

 

ポトスライムの舟 (講談社文庫)