8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

阿部共実『月曜日の友達』感想

阿部共実さんの『月曜日の友達』を読みました。

月曜日の友達(1) (ビッグコミックス)

 

月曜日の友達(2) (ビッグコミックス)

 

元々阿部さんの作品は『ちーちゃんはちょっと足りない』を読んでいて、今作で読むのは2作目。「このマンガがすごい!」だかなんかで話題になっていたのは知っていたけれど、何がきっかけで手にとったかって、amazarashiですよ、あまざらし

youtu.be

この動画見たのは夜だったのだけれど、もう、次の朝には書店で漫画を買ってました。完敗です。負けました。色々と。

 

月曜日は自分の無価値と無力をつきつける嫌な曜日だ。

 amazarashi『月曜日』Music Video より

 

切実な言葉だ。と同時に、綺麗な言葉だなと思った。動画を見て、一番に見たこの言葉が私の胸を突きさして、0.5秒後にはこの漫画を買おうと思った。そういうことを描く漫画みたいだから、読むしかないと思った。

 

読んでよかったです。というかこの動画を知ることができて良かった。この作品を知ることができて良かった。私の人生上で挙げることができる「善い」選択だったと思います。ナイスだ、私。そして、ありがとうamazarashi。

 

この本を読んでいて一番印象的だったのは、「水谷のように生きたいなー」ということでした。

主人公の水谷は、中学の生徒が全員知っているぐらい有能で有名な姉を持つ中学1年生。月曜日の夜は2時間の動物特集番組を見る女の子。体を動かすことが好きで、流行物は知らない。恋愛のことも知らない。

しかし、読んでいけばすぐにわかる。水谷の見る世界は綺麗だ。水谷の中で弾ける言葉たち。彼女が世界を表現する際の言葉は、文学的で情景がパッと浮かんでくるぐらい鮮やかで、美しい。誰もその価値に気がつかない。

彼女のように世界を見たいなと思った。退屈しなさそうだ。綺麗そうだ。どこに行っても、どんな場所でも、綺麗だと思った。だから私は水谷みたいになりたい。

 

もう1人の主人公・月野に関しても触れておこう。

月野は、本当にいい子だなと思った。彼は大事なものを大事にできる才能があるような気がした。例えば、水谷にゲーム機を貸す約束をしていたのに貸すことができなかった時の月野。例えば、とあることで水谷との仲に亀裂が生じた際も、彼から行動をした。偉い。

加えてこの物語は、月野がいなければ始まらなかった点も注目したい。水谷はあの夜自分の中のモヤモヤした感情を月野に向かって放り投げた。放り投げられたのは、他でもない月野が相手だったから。今まで誰にもそのボールを投げることはできなかったけれど、ロクに口を聞いたことがない月野にはなぜか放り投げることができた。そして月野はそのボールを受け取った。ごく自然に。茶化すことなく。それが偉い。月野、あんたは偉い。さらには、月曜日の夜のお誘いをするもんだから、月野は偉い。「僕は変わらないといけない」と言っていたけれど、もうずっと前から月野は変化していたんだなぁ、むしろ月曜日の夜の前からずっと彼は変化していたのではないか、なんて。

 

綺麗な作品だったなぁ…。

どちらかというか、絵よりも物語にのめり込むパターンが多いのが私だったから、絵にも引き込まれた『月曜日の友達』は珍しいパターンかもしれない。表現が素晴らしいのです。光のきらめきとか、水の粒とか。白と黒とか、瞳の色とか。とにかく瞳がすごい。瞳に映ることは相手を見ているってことなんだよなぁ...あああああ。

 

既に自分の歩む道を見定めている月野。その諦めの良さが哀しくて、どうか、彼が生きていけますようにと私は願う。諦めないでほしい。諦めるふりして、特別になりたくてなれないけれど、それでも諦めないでほしい。まだ中学1年生なんだ。だから、月野は大丈夫だと思っている。変えられると思う。

 

中学1年生の頃に思い描いていた未来は、大概はその通りにはならない。よほど確固たる夢を持ちそこに向かって邁進してきた人以外は、きっと予想だにしない人生が待っている。だから、月野も、水谷も、大丈夫だと信じている。よくわからないけれど、そんなことを考えていた。

中学1年生よりだいぶ年上だけれど、私の人生だってどうなるかわからないよなと思って、少しだけわくわくしてこれを書いている。

 

良かったなぁ...これを読めて。この作品に出会って。本当に良かった。

 

阿部共実さんの『月曜日の友達』を読み終えました。