8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

江國香織『抱擁、あるいはライスには塩を』感想

 江國香織さんの『抱擁、あるいはライスには塩を』を読みました。

 

 

 

 

 充実感ある読書体験でした。すごい。三世代が一緒に住む家族の物語なのだけど、1960年から2001年まで、断片的に紡がれる物語。時系列がちょっと前後することもあるのだけど、柳島家という一族がそんな風に40年間過ごしてきたのか、家族それぞれの物語がありつつ一族の盛衰みたいなものも感じられる話です(盛衰というほどのものではありませんが)。

 望、光一、陸子、卯月という第三世代を中心としたとき、彼ら彼女らきょうだいからみて、「父」「母」「叔母」「叔父」「祖父」「祖母」という位置づけである第一世代、第二世代の人たちも、恋をして別れ愛し憎む、そんな時代があったということ。感慨深いです。なんというのでしょうか、家族としての役割とは別で、彼ら彼女らも当たり前に人間なのだということ。家族で暮らしているとそういうことが役割にかき消されるような気がしたのでした。

 いわゆる「普通の」家族ではないのだけれど、いきいきとしていて人間らしい。どこか開放的だけどすごく縛られている部分もある。そのギャップが劇薬のように体にまわります。これは、すごい小説だ。大きいと思います。

恩田陸『EPITAPH東京』感想

 恩田陸さんの『EPITAPH東京』を読みました。

EPITAPH東京 (朝日文庫)

EPITAPH東京 (朝日文庫)

 

 

 「あーなんか読んだことがある気がする」「でもあんまり覚えてない感じもする」「読んだことがあるのか?」「でもオチはわからない」

 結果:3年前に読んでました

 

 エピタフ東京という東京の戯曲を書きあげようとする作家Kが東京をめぐって拾い上げる断片。東京オリンピックのくだりは不謹慎(不謹慎か?)だけど笑ってしまった。こちらの方が個人的には道理が通っている気がする。昔、週刊少年ジャンプで『魔人探偵脳噛ネウロ』って漫画が連載されていたのだけれど、唯一覚えているシーンがあって、それが理容室(か美容室)で髪を洗うために椅子に寝かされ顔にタオルを被せられたおじさんと、その傍らで特大鋏をじゃきりと掲げる理容師(か美容師)の2ショット。この構図は何もネウロからではなく昔からあるもんなのだなーということ、そしてKも同じようなことを考えていたこと。ついつい美容師さんというのは聞き上手な人もいるわけで、ついつい喋ってしまいがちだけれど案外怖い空間だなと思ったのでした。

 恩田陸作品の結節点というか、神原恵弥シリーズの異国の香りだったり(『ブラックベルベット』)、『蜜蜂と遠雷』のクラシックの気配、『中庭の出来事』の入れ子になった複雑な構成、都市伝説ものであったら『六番目の小夜子』や『球形の季節』その他恩田陸作品ならよく登場する雰囲気。

 結論、恩田陸らしい小説だなと思いました。楽しめながら読めました。

知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』感想

 知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』を読みました。

 

崩れる脳を抱きしめて

崩れる脳を抱きしめて

 

 

 最近メディア化される作品が多いなぁと思う作家さん。初めて読みます。ドラマ『神酒クリニックで乾杯を』も同じ作家さんのシリーズものとか。

 以下ネタバレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 怪しいなぁ怪しいなぁと思ったところが案の定キーポイントとなっていました。

 今回のポイントは「すり替え」ですが、ただ1つ難癖をつけるならば、研修医とはいえ患者を診る研修医にグリオブラストーマ(脳腫瘍の一種)と脳動脈瘤をすり替えて誤認させたまま診させるのは危険じゃない…?ってことでした。医療の知識があるわけではないので単なる感想ですが。碓氷先生はグリオブラストーマを患う「弓狩さん」だと思って診察していたら、実は脳動脈瘤を持つ別の人を1か月診てました、ってことになるわけだけど…。多分医療的なバックアップは他の医者(院長先生)とか看護師さんもしていたのだろうけれど。

 そう考えるとすり替えトリックってのも興味深いかもしれません。情報はいくらでも改竄隠ぺいできますが、目の前の病状と肉体は切り離せないですもんね…そういう面白さはあるかも。

 二十代でいつ爆発してもおかしくない爆弾を頭に抱えながら生きる人たちが登場する今作、自分が同じ立場だったら、という想像をどうしてもしてしまいます。だけどその想像は実感からは程遠く、想像と実感の距離はなかなか縮まらない。それでも想像することが必要かなと思いました。遅かれ早かれいつかは自分も通る道でしょう。いつか読み直したら、また異なる感想を持ちそうな話でした。

 

米澤穂信『Iの悲劇』感想

 米澤穂信さんの『Iの悲劇』を読みました。

 

Iの悲劇

Iの悲劇

 

 

 以降ネタバレ有りなので注意お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 割り切れない!

 これは読む人それぞれで感じ方が変わる話だと思います。読む人がそれぞれどこに住んでいるかで。

 「深い沼」があることで物語にいっそうのコクが生まれると思います。自分の公務員という仕事に対する矜持を示したうえで、この結末を経てそれでも万願寺は同じことを弟に言えるのだろうか。それは読者の想像にお任せする。そんな話。

 好きなアニメの一つに『ACCA13区監察課』というアニメがあるのだが、万願寺がジーン、西野課長がオウル課長、観山がロッタちゃん(ビジュアルだけ)にぴったりで、途中からそんなイメージを頭に思い浮かべながら読んでしまった。米澤さんは主人公が翻弄される話、その苦々しさを書くのが上手な作家さんだなぁと思う。他人にこんな風に弄ばれるのは私は業腹なのだけどなぁ…。もちろん理由があってのことなのだけど、それでもなんだかなぁ…。

 現実と理想のせめぎ合い。Iターン移住者たちはそれぞれやや問題がある人たちだったのかもしれないけれど、少なからず傷を負ったわけで、課長や観山はそれを厭わなかったということで。んんー。こんなことをしなければいけない、って状態が嫌だけど現実なのか…。悶々とするし、消化にはまだ時間がかかりそうです。

小川洋子『不時着する流星たち』感想

 小川洋子さんの『不時着する流星たち』を読みました。

 

不時着する流星たち (角川文庫)

不時着する流星たち (角川文庫)

 

 

 どことなく不穏。ぎこちなく、色んな人の「ズレ」がそこにある。私は「ズレ」と書くのだけど、小川さんの小説を読んでいると「んんん?」と思うところが必ず出てくる。第一話「誘拐の女王」で登場する語り手の姉は、裁縫箱を手放さない。裁縫箱?何故?他にもカタツムリとか測量とか文鳥とか臨時の実験とか、絶対「何で?」というところが出てくる。でもそれって普段見えていないだけで誰しも一つや二つ、そういうところがあるのではないか。全員が「一般的」の名のもとにおかしくないなんてことがあろうか。そもそもおかしいのだろうか。何と比べて?

 小川さんの小説はそういうところが絶対登場するのであり、「ズレ」がこの上ない魅力なのだと思う。小川さんらしい、といえば、らしい。

 好きだなと思ったのは第七話「肉詰めピーマンとマットレス」でした。

 

恩田陸『祝祭と予感』感想

 恩田陸さんの『祝祭と予感』を読みました。

 

祝祭と予感

祝祭と予感

 

 

 どこかで情報をゲットしてその場で「買う~~~~~~~~」と決めていた本。買いました。思えば『蜜蜂と遠雷』も書店に平積みになっているのをたまたま目にして内容も知らず、でも恩田陸さんだし最近本を買ってないし、「ええい買ってしまえ!」と買った結果鳥肌立ちまくり大満足な話だった、というオチでした。

 『蜜蜂と遠雷』というのは恩田陸作品の中でも独立しているなぁ…という感じで、今一番好きなのは『木曜組曲』や『黒と茶の幻想』『三月は紅の淵を』なんかなのですが、やっぱり異なる。自分の中の恩田陸作品の色のイメージが「暗緑色」とか「臙脂」であることからいっても、太陽の光を燦燦と浴びる『蜜蜂と遠雷』はやっぱり異色の作品だなぁと思います。

 今作は行間たっぷり、文字数も少なく、あっという間に読めてしまうのですが、無駄な文章がないというか「削がれている」という印象を受けました。『蜜蜂と遠雷』が言葉を尽くして「音」を表現しようとしていたのに対して、こちらはかなり説明っぽい。『蜜蜂と遠雷』で作られた各登場人物のイメージを、読み手の頭の中ですくすくと育ってしまった彼ら彼女らのイメージを、そのまま補強できるような、そういう話かと思います。

 一番好きなのは「鈴蘭と階段」であり、もうタイトルからして「好き…。」なのですが、ヴィオラへ転向した奏の新たな一面を、ドキッとさせられる一面を、見させてもらったなぁという気持ちです。正直、奏がどんな音楽家なのかが今一番知りたいです。

 世界は残酷だけど美しくもある。豊かなんだろうな、ってことを、この『蜜蜂と遠雷』『祝祭と予感』は教えてくれます。

 

彩瀬まる『不在』感想

 彩瀬まるさんの『不在』を読みました。

 

不在

不在

 

 

 すごい話だった。妃美子と初めて会う場面、門扉を開けようとする妃美子とのやりとりに痺れた。多分あの瞬間が作中では初めてだったのではないか、主人公・明日香の暴力性が表出するのは。そこからどんどん悪くなっていく(悪いという表現をしていいかも難しいところだ。結局は良かったのだとしたら、それは「悪いこと」なのだろうか)。冬馬には「もうやめよう、あの家を片付けるのは」なんて言われてしまうし。家を片付ける=家族(明日香の場合は特に父親)を向き合う、であり、過去の整理、清算を意味しているようだ。でもタイミングが重なっている。父親が死んだことと編集者の緑川と会ったことが無ければこの物語は生まれなかったし、明日香は冬馬の言葉を借りれば、ゆくゆくは彼を殺していたのかもしれないなぁ…、と。だから明日香は救われたんじゃないか、と思っています。良かったなと。

 内なる衝動を持て余す、ということに関心がある。「思わず」な行動に。ついうっかり言ってしまった、というのは、でも何もなければ口からぽろっと出ることすらないと思うから、無意識にでもその人が見たり聞いたり思っていることなのだろう。それを制御することは難しいから、普段から何を自分に溜めこむのか、模倣するのか、を考えていくといいのではないか、なんてことを考えている。

 明日香はいわゆる「DV」の気がある人で、徐々に他人に対する暴力の衝動を抑えることができなくなる。いや違うな。彼女自身、力をふるっているという自覚が欠如している、ということが気になるのだ。

 理不尽な暴力に苦しむ人の話は、悲しいことにたくさん存在する。物語にもある。だけど、暴力をふるう側の話はどうしても少なくなる(何故?)許すつもりはないが、許してももらえるのかどうかは私の知ることではないが、暴力をふるうその瞬間に何があるのか気になる。自分がそんな衝動と無縁な聖人だとも思えないし。

 ということで、明日香がどんどん悪くなってくるあたりから「あー」とか「やー」と呻きながら面白く読ませていただきました。知っている人に読ませて読書会したい本です。

 

 あと単行本の装丁、好きです(愛のメッセージ)。使われているフォントなんなのだろう…(フォント特定職人になりたい)。文字がぱっきりしていてかっこよく「文字ある!」と思ったのは、読み終わって他の本を読んだ時でした。