「キラレ×キラレ」
この謎のカタカタ言葉が意味として認識できていなくて、物語を読んで途中で気がつきました。切られ切られなんですね、多分。
さらっと読むことができました。やっぱり謎そのものというよりは、登場人物たちのやりとりや思考を読むのが楽しい小説。GシリーズからこちらXシリーズに流れてきた私だけれど、歌のシリーズより淡白になっている気がします。小川さんと真鍋くん、そして時々鷹知さん、椙田さんという登場人物は、Gシリーズの彼ら彼女らと違って共同意識みたいなものがないような気がします。むしろGシリーズの面白さって登場人物たちが「大学」に属している、という事から発生する空気感ではないかな。
内容に関することで1つだけ。
満員電車で後ろからこっそり肩を切られることって、ショックだろうか。多分ショックだろう。現実感が湧かない問いなのでどこまでふわふわしているのだけれど、そんなことを考えてしまう。
満員電車が個室みたい、という意見には同意。(そんなこと言っている箇所があったよな、と思って本をパラパラめくっているのだが見つからない。気のせい?もしかして?)私も満員電車は苦にならない。自分の世界に入っているから。
世界のバランスとは、本当に危ないところで保たれているなぁ...と思います。
私は車を運転したことがあるのですが、運転していた時に混乱して、それ以降乗っていません。
何に混乱していたのかというと、交通ルールを信じられなかったのです。道端でふらふら自転車を漕いでいる人の動きがまるで読めない。もちろん自転車を漕いでいる人は死のうとは思っていないので道路側に飛び出してくることはないのですが、私はそれを信じられない。予測不能が予測不能のまま。実に不安なまま運転することになるので、ものすごくストレスで、じゃあ乗らなくていいやと思ってしまいました。とても怖かった。
交通の秩序は、お互いがルールを守っているという暗黙の了解があって、守るべきという前提があって成り立つものなのだな、とその時思ったのでした。
話を作品に戻すと。電車の中で切られない、というのは当然信じられていることです。それだけじゃなく、そもそも人は人を害しない、というのは日本においては多分暗黙のうちに了解されていることなのではないと思うのです。でも、実際は「人を切らない、刺さない、痛めつけない」というルールを守れる人ばかりじゃないかもしれない。がそんな人はいないと思って私は今を生きている。
怖い?
怖いというか、どうしようもない。
どうしようもないけれど、何かあってからでは遅いから、注意力がある人にはせめてなっておこう、と思いました。少しでも早く気がつけるように。
『キラレ×キラレ』を読み終わりました。