小川さんの小説をこれまでたくさん読んできたわけではないけれど、まったく読んでないわけでもない。そんな読書経験から感じてしまうのだが、この『博士の愛した数式』というのは、なんというか「読みやすい」。
小川さんの本は、いつもどことなく「不穏」だ。具体的に何が?と説明するのは難しいのだが、例えば「死」とか「老い」とか、社会からちょっと外れてしまった人たち、静謐な物語でありながら、狂気がそこには確かにあって、しかしその狂気が暴発するわけでもなく淡々と進んでいく。だからこの本には、なんというか「毒」が無いと思う。というのが個人的な感想なのだけれど(個人的でない感想などあるのだろうか?)読み終わってぱたんと本を閉じたとき、不思議な充実感が胸に広がって、しかもその充実感は数日経つと消え去って「充実感をおぼえたはずだ」という根拠のない自信だけがそこには残っている。だから何度読んでも初めましてになりそうな小説です。もちろん好き。
「私」が生活する人ってのが良いと思う。博士が言っていたと思うのだけれど「君が料理するのを見ているのが好きだ」と。読みながら「私」が履くスリッパがパタパタと床を鳴らす音が聞こえてくるよう(この人は幼いころから家事をせざるを得なかった人だから、きっと要領よく家事を進めることができる人だ)。私も、なんというか、人が生活していくことに、秩序やこだわり、ハッとする強さを見つけるととても嬉しいし勇気づけられる。この小説はその嬉しさと数の世界の深淵が共鳴してパッと光る作品だな、と思います。
またこの本の存在を忘れたことに読み直して、何度読んだって心が温かくなると思います。