小川糸『卵を買いに』を読みました。
エッセイを読むとき、私は他人の考えを借りる気持ちで読む。知らない場所、知らない食べ物、知らない景色、考えても見なかったこと、他人の考え。エッセイを読むことで多少なりともインプットできたと思う。
他の人の考えていることが全然分からない。ずっとそう思って生きてきた。今もその傾向は変わらず、他人の表情や口調、仕草でその人の考えていることを推し量ろうとはしても、決して言葉にならない限り断定しないようにして生きてきた(できているかは別だが)。いや、言葉ですらその人が本当に思っていることとは限らない。
エッセイでは、小説とは別の方法で書き手に近づくことができる。でも近づいたと思っても、完璧に理解することはできなくて、その不完全さが私と誰かとの差異なのだろう、なんてことを考えている。
ラトビア、行ってみたい。このエッセイでしばしば出てくる国だ。バルト三国は「え・ら・り」と覚えていた。北から順番に、エストニア、ラトビア、リトアニア、である。でもきっとこの本を読む前まではラトビアという国は知っていても、行きたいとはまでは思わなかっただろう。今も息をするように「ラトビアに行きたい」と言っている軽い感情であるけども。
そうして私はまた何かを知る。何かを知ったような気になる。
私はエッセイを読んだ。