島本理生さんの『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』を読みました。
食べることは、生きること。島本理生さんは恋愛小説というイメージが強いけれど(確か嵐の松潤と有村架純の『ナラタージュ』も島本理生さん原作の話でした)それ以上に私にとっては食べ物を瑞々しく書く作家さんだなと思う。今年島本さんの著作を何冊か読んでみての感想。「食」を通して色々なものが見えてくる。食べることはその人らしさを映す鏡のようなもの。
『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』は、食の中でも「食べることは、生きること」を強く感じた。気持ちが揺さぶられたとき、何かを食べて回復する、ということもそうだし、四季折々の食材が美味しくなる旬を心待ちにし生きることは、すなわちゆっくりと生を味わうことだと思う。
「薬を手にして」というタイトルに私は読む前に不穏なものを感じたけれど、それは杞憂だった。確かに薬を手にしていた。手にしなければ生きていけないのだ。ただここで登場する人たちは総じて自分にとって大切なものを見極めようと懸命に生きようとしている人たちで、何かに依存するとかそういうことではなかった。「薬を手にして」というと私は「依存」という言葉をまず思い浮かべてしまったけれど、そうではないよ、と。
主人公の知世は様々な人と関わるうちに変わっていく。物語の最初の頃と終盤では同じ人物とは思えない。でも大した出来事があったわけではないんだよな、と。少しの出来事に対して彼女が感じたことが土台に、その先の時間が積み重なっている感じ。なんというか、物語というのは、えてしてそういうもののような気がするけれど、ついつい派手な何かがあるような気がしてしまうのはとても不思議です。多分私の人生も同じことで、今日、この感想を元に書き終わればまた私の人生が続いていく。この本を読んだこと、感想を書くこと自体は大したことではないと思うけれど、読む前と読んだ後では決定的に何かが違うのだ。それは不朽の名作だから、多くの人に読まれる名著だからとかそんなことは関係なく、本でも音楽でもアニメでも映画でも、誰かとの会話でも、仕事の失敗でも、何かがあれば何かが変わるのだ。その繰り返しが人生なのだと思っていて、私はその結節点?分岐点を出来るだけ書き残したいという欲求がある。というのはちょっと蛇足でした。
作中、知世が女友達と箱根の星野リゾートに行くのだけれど、「星野リゾート」という固有名称がやけに生々しく私もお金と時間ができたら星野リゾートに行ってみたくなりました。