江國香織さんの『雨はコーラがのめない』を読みました。
アメリカンコッカスパニエルの雨と、その雨と一緒に聴く音楽をめぐる文章です。めちゃめちゃいい。痺れる。
埃だらけではあるが所在なくはない自分の家で、私は雨と、真昼にワインをのんでいる。雨はコーラはのめないが、白ワインならのめる。しかも、水とはちがうことがわかっていて、ちゃんと少しずつのむ。
江國香織『雨はコーラがのめない』 新潮社 p.150
笑ってしまった。最高だ。いかに私たちが不自由であり、江國さんと雨が自由であるか。白ワイン!!最高だよ。
読んでいると「愛でる」ではなく、「友人」であり「同志」という印象を受ける。そりゃあ、多くの犬好き猫好きその他動物好き生き物好きの皆さまにおいては、自分と自分が飼っている生き物に対して序列関係ではなく対等で素敵な関係を築いておられることと思うのですが、それでも「飼う/飼われる」という言葉がある時点で、それは横並びではない、ような気がする。わからないけれど。
ただ江國さんのこのエッセイを読んでいると「飼う/飼われる」なんて言葉はちゃんちゃらおかしいものであり、馬鹿げていることに思える。一人の人間と、一匹の犬が、世界の美しさを共有することはできないかもしれないが(できるかもしれないけど)、一緒に耳を澄ますことはできる。そんなことを考えました。
また内容のすばらしさを結晶化したような最後の写真も最高だ。この一枚に集められたエッセイの核が詰められているんじゃないか、と思いました。本当に、いい。