8月2日の書庫

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宮部みゆき『悲嘆の門』感想

 宮部みゆきの『悲嘆の門』を読みました。

悲嘆の門(上)

 

 再読。『英雄の書』と繋がっている世界観になります。友理子も登場します。

 宮部先生の作品は、物語の背景にある社会をしっかりと書き込むところに一つ特徴があると思っていて、人間の感情をどろどろに煮詰めて出来上がった悪を描くのが本当にすごい。今作でも「一体これはどうしたらいいんだ」と頭を抱えてしまう悪が登場します。

 生きる「領域」に非ざる存在、ガラにより人々の言葉が具象化して視えるようになった孝太郎は、本来なら視えない、人の心に澱む言葉を視ることになるわけですが、私なら耐えられないだろうなと思います。よく「人の心がわかったら…?」という超能力が描かれたりするけれど、超能力の中でも人の心を読む系のものは、私は遠慮したいな。

 『英雄の書』の友理子も今作の孝太郎も、人の話を全然聞かなくてそういうところにイラっとさせられてしまう一方で、自分で納得しないと進めない、彼らの頑固さだからこそ物語が動くのだろうと思います。「ああ、そうか」と受容することが良いわけでもない。

 言葉に欲望に飲み込まれ、ガラによって刈り取られると形を失う人々の描写が、先日読んだ、恩田陸の『光の帝国』の「草取り」にも通じるものがあって、人間というのは見た目だけではわからない、内面にはもっと混沌とした何かがある、ということが前提とされていることを興味深く思いました。私もその立場をとりますが(例えば、酔いは人の隠れた本心を露わにするもの)その混沌は、本来、人が見るものとして考えられてないのだろうな。理性とかそういうものを考える。なむ。

 「無名の地」も「始源の大鐘楼」も、この世の真理とも言える領域に触れた孝太郎はこれからどうするのかしら。『英雄の書』でも、「無名の地」に立ち寄った数少ない人々が記録に残したりしている、的な描写があったのだけれど、おそらく孝太郎もそういう人間になるのだろう。とても奇異な体験をしたことは間違いない。大学に入学してこれといった道が見えない、日常に退屈していた孝太郎のこの先の人生がどんな風になるのか、描かれないものの私はとても気になります。