8月2日の書庫

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江國香織『ウエハースの椅子』感想

 江國香織『ウエハースの椅子』を読みました。

ウエハースの椅子 (ハルキ文庫)

 

 冒頭で私はこの本のことを好きになった。

 かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。

 江國香織『ウエハースの椅子』(p.5)

 読んでいて、ジュンパ・ラヒリの『わたしのいるところ』と近しい印象を受けた。つまり私はこの本のことが好きってことだけど。静かで、透徹とした眼差しを感じる。

 

 主人公の「私」は38歳で画家で結婚はしていないが恋人がいる。恋人、画家としての仕事、妹(そして妹の恋人)、猫、平和で安定した生活。だけれど気がつけば様子がおかしくなっていることに読者は気づく。彼女の絶望が進行しているのだ。

 この物語を考える上で、そして江國作品を考える上で、重要なのが、「内と外」という考えだと思う。「私」は「外側」にいたのだけれど、恋人に出会うことで「内側」に入り込んでしまった。そして一定の時間を「内側」で過ごすうちに耐えられなくなったのかなと思った。そのようなことは作中にも書かれている。

 『真昼なのに昏い部屋』と対照的ともいえる。あの作品では、逆に「内側」から「外側」に出る物語だったから。

 江國作品の登場人物たちは「外側」を意識させる。私はそれがとても好きだ。小説というのは概して自分たちが生きるこの世界がどういうものなのかを可視化する手段だと思っているけれど、江國作品は「内側」に対するストライキ?カウンター?の気配を感じてならない。強かにふわふわと無意識に抵抗していく。そういうところが私は好きなのだろうな。