梨果と八年一緒だった健吾が家を出た。それと入れかわるように押しかけてきた健吾の新しい恋人・華子と暮らすはめになった梨果は、彼女の不思議な魅力に取りつかれていく。逃げることも、攻めることもできない寄妙な三角関係。そして愛しきることも、憎みきることもできないひとたち…。永遠に続く日常を温かで切ない感性が描いた、恋愛小説の新しい波。
なんだろう、江國香織作品のあらすじだけ読むとそこまで面白そうには思えないのだけれど、実際読んでみるとそれはもう抜群に面白い、ということがある。この『落下する夕方』も同様で「はあ、面白くないじゃろ」と思っていたけれど、読むとたちまち物語の世界に引き込まれた。もはや江國香織の文章が好きだと言ってもいいだろう。私はこの人の表現が好きなのである。
主人公である梨果の人物像を立ち上げるのが難しかったように思う。本を読む際は登場物たちの輪郭はある程度固められるのだけど、梨果については最後まで本当によくわからなかった。どんな容姿をしているのかも想像つかなかったし、どういうことを大切にしているのかもわからなかった。多分、彼女自身がよくわかってなかったから、それが語りにも出ているのだろう。おそらくは、だけど。
輪郭が曖昧だったものだから梨果の視点で進められる物語は当然のように不安定だった。話の筋とは関係なしに、今この瞬間を読んでいてこんなに不安になる小説もない気がする。ずっとふわふわしてて落ち着かなかった。
そして梨果の恋人である健吾が思い寄せる華子。この小説はとにかく梨果と華子、華子と梨果、時々健吾、である。華子もよくわからない人物だったけれど、よくわからないというところで輪郭を引けるからわからなくても不安にはならなかったように思う。作中に登場する華子の数少ない持ち物のひとつ、ヘチマコロンは知らなかったので検索してしまった。ヘチマコロンの匂いとはどういうものなのだろう。
買った本だから、読みながら気になる文章に付箋を一枚、また一枚を貼っていく。例えばこんなの。
「『好意を注ぐのは勝手だけれど、そちらの都合で注いでおいて、植木の水やりみたいに期待されても困るの』」(江國香織『落下する夕方』p.145)
言葉がきれっきれである。どうしたらこんな文章を紡げるのか。まあ、紡ぎたいのかというとわからないけど。
読み終えたときに、つけた付箋を目印にもう一度文を読む。「あれ、どうしてここ付箋貼ったのだろう」と首をかしげる瞬間が、私は結構好きだったりする。