江國香織の『がらくた』を読みました。
まず文庫本の表紙が最高。とっても好き。私は文庫本の表紙を気にしたことがないのだけれど(それもどうかと思うが…だってせっかくデザインをした人がいるのだから)この『がらくた』に関しては表紙にまず目を奪われた。私はプールが好き。水がたっぷりある場所が好き、なので。
ということで、表紙に惹かれ読み始める。内容もよかった。びびっとくる言葉がたくさんあって、その都度付箋をぺたぺた貼っていく。気づけば貼った付箋が無秩序に飛び出してばさばさになってしまったが、買った本なので問題はないでしょう。
感想といっても、この本について正直あまり考えていない。言語化するところまで落ちていない感覚がする。ただ、タイトルの「がらくた」についてだけ考えている。
「がらくた」という言葉を見かけたのは、私が読んだところ後半のただ一か所のみ。それも語り手としての柊子や美海ではなく、美海の母の友人(それもこのシーンだけぽっと唐突に登場してくる感じ)の言葉。
文中のやりとりから私が考えていたのは、人はがらくただと思っていてもそれを手放すことができない。むしろがらくただからこそ愛着を感じ、そこに囚われ、手放すことができないということ。柊子はがらくたを捨てられない人間なのだろうか。美海から見た柊子のジャムづくりはその傾向を示しているといえるかもしれないが、柊子の語りを読む限り、柊子はがらくたを捨てることを惜しまなそうだ。一方美海は、といえば、彼女は柊子たちの世界の外にいる感じがするので、がらくた云々ではないのだ。彼女ががらくたを捨てる人間かどうかは、もう少ししてからわかること。彼女にとってのウォークマンはどういうことになるだろう。わからない。柊子の母・桐子はがらくたを手放さない人間だろう。
がらくたを捨てる人/捨てない人の二項対立を描く物語、というわけでもないのが『がらくた』の見どころだ。そんなこと(そんなこと、と切って捨てるのは申し訳ないが)どうでもいい。私は『がらくた』に通じる雰囲気、リゾート地に吹く無責任だけど芯のある風、が好きなのだから。