8月2日の書庫

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イアン・マキューアン『初夜』感想

 イアン・マキューアンの『初夜』を読みました。

初夜 (新潮クレスト・ブックス)

 「初夜」ってもしかしてそういうことか?どうなの?わかんない!と手に取っていざ読んだらそういうことだった。原題は、"On Chesil Beach" とのこと。個人的には、チェジル・ビーチでのやりとりが好きなので原題をそのまま訳すのでも良かった気がしないでもないが、この直球なタイトルもそれはそれでいい。この小説は、まさにエドワードとフローレンスが結婚したその夜の数時間の話なのだから。

 

以降ネタバレ注意

 

 

 

 LGBTという言葉が随分世の中に流布するようになったと思うが、セクシャルマイノリティ性的少数者)とされる人たちの内、「アセクシャル」というものがある。「他者に性的な魅かれを抱かない人」というような定義だが、性的な行為に嫌悪感を抱くアセクシャル*1というのをイメージする上で、こんな感じではなかろうか、という気がして、そういう人たちの心情を理解する補助線的な意味としてもこの作品はおすすめかと思う。あくまでそうした行為に嫌悪を抱く人を理解する上で、だが。マキューアンはフローレンスの中の恐怖を、嫌悪を、丁寧に描いている。

 フローレンスがロマンティックアセクシャルであるか断定するのは控えるとして、フローレンスの困難として私が思わず考え込んでしまったのは、性的な行為の否定というのが即ち愛情の欠如と受け取られてしまうということであった。作中でエドワードもそのような反応をしており、はたしてこの反応がメジャーなものであるか興味がある(フローレンスの提案は私的には悪くないと思うが、多分それは珍しい)。

 逆にフローレンスもエドワードの考え方について興味を持つ必要もあると思っていて、アセクシャルがZセクシャル(他者に性的に魅かれる人)の感覚を完璧に想像することは難しいにしても、歩み寄る必要はあるのかなと感じた。エドワードがあまりにコテンパンにやられすぎるのも可哀そうというか、なんというか。とはいえ、フローレンスはこれまでの人生でかなり用心し緊張し悩みもがきながら生きてきただろうから、難しいよな…。

 いずれにせよお互いが話して折り合いをつけていく他ないが、言った傍から切って捨てられるような感じでは、そりゃあフローレンスもエドワードも辛いだろう、という気がする。1962年という時代性も当然汲む必要がある。

 要約すれば、エドワードもフローレンスも言葉が少なすぎた、ということに尽きるわけだ(それは作中でも述べられている)。ただ、要約することに意味はない。何故ふたりは語ることができなかったのか、それをじっくり味わうのがこの本の醍醐味と言える。

 相手を失うかもしれないという恐れ、自分が傷つくかもしれないという恐れ、理解してもらえないかもしれないという恐れ。自由でありたいと願いつつ、彼らは恐れに縛られていたわけで、「初夜」という題材あれ、内容としてはとても普遍的な、人と人の関係性を維持することの難しさをこの作品は扱っていると言えよう。2022年の中でもかなり印象に残る作品になること間違いなしである。

 

 余談。実は昔から性的な描写が結構苦手で、この本を読み始めたときは「あちゃー」と戸惑ったものの(だって「初夜」って結婚して始めての夜、って意味じゃん)丁寧に丁寧に綴られていく言葉に魅かれ、なんとか読むことができた。苦手な人は苦手だと思うので注意されるよう。

*1:アセクシャルでも性嫌悪を抱く人もいれば抱かない人もいる