8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

宮沢賢治『注文の多い料理店』感想

 宮沢賢治注文の多い料理店』を読みました。

注文の多い料理店 (ハルキ文庫 み 1-4 280円文庫)

 

 思えば宮沢賢治を意識的に読んだことがないかもしれない。国語の教科書で「やまなし」は読んだと思ったけれど、私の中の宮沢賢治はそこで止まっている。最近また本が読めなくなってきたので、リハビリとして薄い本を選んでいる。角川春樹事務所の文庫280円シリーズの『注文の多い料理店』もそこまでページ数が多くない。読んでみた。

 

注文の多い料理店

 話としてかなり面白いと思う。だがいかんせんネタが割れすぎてて見知ったストーリーをなぞる形で読まざるを得ないのが寂しいといえば寂しい。この話のネタを知らないまま読みたかった。

 注文の多い料理店を訪れた二人の紳士は「なんだか横柄でいけ好かない奴」だなと思ったけど、多分横柄だろうが謙虚だろうが、ある程度肉付きのいい人間だったら大歓迎だろうなこの店と思うと、自然にとって人間の本性なんてのはそこまで差はないのかもしれないと思った。

 宮沢賢治はことばが面白い。なにかたべたいなあ、と、喰べたいもんだなあ、というやり取りに私は驚いた。食べる意思の交感をそういう風に表現するんだ?

 

セロ弾きのゴーシュ

 楽団の中でもかなり下手な演奏家だったゴーシュが、動物たちとの関わりの中で知らぬ間に演奏技術を向上させる、という話か。

 嫌味を言われても、特段気にすることなく(という風に私は読めた)家で練習するゴーシュはセロに愛されていたと思う。誰に言われなくても自然と体が動くことを私は才能と呼ぶ。だからゴーシュにはセロの才能があった。あと自分の音にも無頓着というか、結局なんで上達したかわかってなさそうなところが最後までゴーシュという男で、演奏家としてただただわからない、異様な存在だなと思った。

 

風の又三郎

 会話パートの豊かさに驚く。現代の言葉で生きている私としては読みづらさを感じる部分ではあるが、ノリで読む。その生き生きとした佇まいに身を委ねる。

 

 三作品共通して、わからないもののわからなさを、誇張することなく、さらりと書くところがあるような気がした。他の作品も気が向けば読んでみたい。