千葉雅也『オーバーヒート』を読みました。
面白かったです。何が面白かったのか言語化できない面白さに駆られてページをめくっていました。
物語の中で芯として通っているのが「言葉」というもの。主人公はどうも言葉が堰き止められているような感覚を抱いています。本が書けない。気に入らない相手に言葉をぶつけられない(社会学者とか行きつけのバーの客とか)。恋人との関係もどことなく靄がかかっている。
前作『デッドライン』に続いて、タイトルがいいのだろうなあ、という気がしていて、タイトルは着物における帯のような作用をしている、とこの本とタイトルについては感じました。タイトルをどう扱うかというのは作家性に委ねられるとは思うけど…。
オーバーヒートとは、車に慣れていないとわかりづらかったけれど「エンジン本体が熱くなりすぎた状態」のことを言うらしい。なるほど、言葉というガソリンが身体の中で封じ込められ発散することもできず熱を持ってしまった…ということであれば合点がいきます。言葉はそもそもお互いが了解していないと機能しないものなんだなということに派生して気づかされます。言葉の共通理解の領域が狭くなっちゃうと面白くなくなるのだな。
そこに加えて、言葉と対比して肉体があります。私は湿っぽい性愛が苦手なのかもしれないなあ、という気づきは今後の考察材料として残しておきます。この小説の描写も、頑張って読んだのですが(苦手ではあるからね)なんとか読めたし読後感は悪くないか。嫌悪感は抱かないな。それは描かれているのが女の体ではないからか、描き方の問題か。個人的に「湿っぽくない」というのが重要かもしれないです。
近年、恋愛指向と性的指向というのは分けて考えますよ、という考え方がメジャーになりつつあると思っていて、現時点の私は「そういうものか」という理解をしてます。むしろ恋愛に絡めとられた性愛的な行動の方がよっぽどしんどくない? ということは考えています。まだまだわからないことが多いな。
狙ったわけではなく並行して同じ著者の『現代思想入門』も読んでいたので、『オーバーヒート』を読みながらフフフと笑うところもあり。結果的に並行して読めて良かったなと思いました。