8月2日の書庫

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内田樹『日本習合論』感想

 内田樹『日本習合論』を読みました。

日本習合論

 

 私が「純血」という言葉と初めて出会ったのは、おそらくハリーポッターシリーズで、魔法使いの中には、魔法を持たない人間(マグル)から生まれた魔法使いを「穢れた血」として忌む人々たちが登場する。

 当時、小学生だった私は「純血」という考え方はナンセンスだが、他人がそう思うことを止められないだろうとも思っていた。私には理解できないがそう考える人もいるのだろうと。

 何故ナンセンスだと思ったかというと、どう考えても「苦しい」と思ったからだ。純粋であろうとすることは著しくエネルギーを消費する。人間はそういう風(つまり純粋)を保つようにできていない。どうだ、私の部屋を見てみろ、すぐに汚くなる。掃き清めるにはエネルギーと精神力が必要、純血主義者は己の信じる道を行くという一点主義といいますが、無駄なものはすべて削ぎ落すという厳しい考え方で自分を保っているような気がしてならなかった。大変じゃね? と思った。

 

 『日本習合論』にも途中で「純血」という言葉が出てくる。純血主義が行き着く先は滅亡だと私も思う。日本から外国人を排斥しよう。それでも国は良くならないだろう。そうしたら今度は日本人の中から「在日」を排斥しようとする。それでも国は良くならない(人口もがくっと少なくなりそうだ)。そうしたら純血の日本人の中に裏切り者がいるのか?という話になり、多分誰もいなくなる。

 

 習合の方がよほど面白く多様で持続性があるのに。純粋であろうとする心には、一本の芯のようなイメージがあるのだろうか。私はそれはまやかしだと思っているから、そもそも前提が違うのか? わからない。