テス、ムンジョン『1cmダイビング』を読みました。
私、もう、それやってるのよね、と思うこともあれば、できてないなあと思うこともありました。例えば過去にトラウマというか苦い体験、失敗があり、思い出したくないことについて、今でも思い出さないけれど、過去にあったそういう嫌なことと少しだけど向き合わなければならないこともあるみたいです。
読んでて思うのは、痛みというのは連鎖だなということです。人々はどれほど傷ついているのだろう。どうしてここまで傷つかなければならないのだろう。例えば、親から子につけた痛みは、その子が親になったとき、あるいは親でなくても大人になったときに、弱いものに向けられる。その連鎖を止めないと世界から痛みの総数は無くならないだろうなと思います。「自分の子にはそういう思いをさせたくないから親になりたくないです」というのはわかる気もするのだが、親にならずとも私たちはいずれ「大人」になり、「大人」になったとき、誰か別の人に痛みを向けたなら、親にならなかった理由は何だったのだろうと思わなくもない。つまり私が言いたいのは、悔しいのだけど(癪に障るのだけど)自分の痛みは自分の代で完結させなければならないのだということ。悔しいのだけど(二回言った)。なんで私がそんなことしないといけないねん、と思うけど。思うけど、まず私がそこそこ楽しく生きる為に痛みを癒すことは必要なんだよなと思う。私は私にひどいことをする人を自分の中では無かったことにしてしまう。それは非情なことなんだと思いつつ、今のところそういうやり方しかわからないのです。ま、他の向き合い方があるならばそれもやっていきたいね。