アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』を読みました。
ぐうううううう。夢中で読んでしまいました。今年から始まった(別に意図的に始めたわけではなく、クリスティー面白いじゃんと遅ればせながら気づいた2020でした)クリスティーを読もうチャレンジ、実はこの作品はまだ読んでいなかったのです。まあ「読みたい!」と思ったときが一番の読み時、という考えなので(そうでなければ本を読むことはできません。悔しすぎて)さて、読みましょう。わくわく。
面白かった…。本当に夢中で、一日でがーーーーーーっと読んでしまいました。面白すぎだよ。
クリスティーの作品は、謎解きモードになるととても潔くて実にスピーディーに物事が進んでいく気がするのですが、この本は最初から終わりまで実にテンポよく、あっという間に進んでしまいました。無駄がないです。
私はこの話に一番近づいたのは、2017年かな?テレビ朝日で放送されたドラマでした。以前から噂には聞いていたけれど、ああ、本当にそういうことだったんだ、という核心に触れ、ドラマの素晴らしい出来(豪華キャストの熱演!)に痺れた記憶があります。でも、できることなら、ドラマを見ずに、また悪意なきネタバレの嵐に襲われることなく、小説でこの作品をまずは知りたかったですよね。本当に、本当に、それが残念です。だから、まだこの話の結末を知らない人は、どうか私の感想を読み進めることがないように。よろしくお願いします。
私は、その人が犯した罪は、その罪に直接かかわる人たちと罪を犯した本人が知りえることであり、裁くのは特定の職権を与えられた人たちに限る、という考え方です。原則はそうです。でなければ(例えば私刑などが許されるのであれば)長きにわたって積み重ねられてきた人類の営み(法とかそういうもの)が無駄になるからです。何故人は何もないところから法というものを作ってきたのでしょう。
ということで、このウォーグレイヴ判事の振る舞いは許されることではないし、本人も「法の番人」という立場ではなく、殺人芸術家として自らの計画を実行したようです。許されようとは思ってないでしょう。私は、この話は殺人事件であり、9人(つまりウォーグレイブ以外に島に招かれた人たち)の人たちが犯した罪によるもの、身から出た錆、自業自得だとは考えません。本人たちが罪を認めていなかったとしても。
このあたり、ウォーグレイヴ判事は面白くて、元判事としての立場であれば、己の犯した罪を認めさせたり悔い改めさせようと、それぞれに強く迫ることをしたでしょうに、あくまで自分が立てた計画を粛々と実行するのみ。余計な脅しはかけないし、多分他の招待客への軽蔑とか怒りとかもなかったのではないかなと思います。もう正義の名のもとに人々を裁く判事の心ではなく、人を追い込み殺めることを楽しむ殺人鬼の人格の方が強くなってしまっているからです。
私はこの話が好きです。特殊な状況下に置かれた10人の内面の揺らぎを丁寧に追うのは刺激的です。しかし、同時に救われない話だなとも思います(人が死ぬ話はそういうものかもしれませんが)。今この本を読んだ私の中に残る教訓としては、老いというのは恐ろしいということです。理性と本能。これらをコントロールする力をどうすれば維持できるのでしょうか。ウォーグレイヴ判事の頭の中で起こったことは、程度の差こそあれ、人間ならば誰でも起こることではないのでしょうか。