アガサ・クリスティーの『スタイルズ荘の怪事件』を読みました。
※ちなみに私は田村隆一訳を読んでおります。
※そしてネタばれを含んでいるのでご注意願います。
読みました。面白かったな。クリスティー、とりあえず10冊以上は読んだのだからいい加減犯人がわかってもいいじゃないかと思うのですが、ぜんぜん当たらないんですよね。本気で当てにかかっているわけでもないという言い訳は見苦しいですね。当てようとしているのだから。
意識の散らし方が上手いと思いました。アルフレッド(殺されたエミリイの新しい夫)とミス・ハワードが親戚っぽいという話は最初に提示されていたはずなのに!そしてミス・ハワードがアルフレッドに対して親しい様子を見せていないという描写もあったのに!ミス・ハワードが一方的にアルフレッドに憎悪を抱いている風(こいつがエミリイを殺したんだ!という主張)に騙されてしまいました。情報がきちんと提示されているという意味ではフェアなのだけど、そりゃあ、わからん!って感じですね。そもそもミス・ハワードの呼称が、「ミス・ハワード」「エディ」「イブリン・ハワード」とバラバラになっているのも混乱が大きかった。「エディって誰やねん」ってなりましたもん、最初。
そうして読み終わって色々と考えたときにたどり着くのは、エミリイ・カヴェンディッシュという一人の女性の生が終わる話としては悲しいよなということでした。それはクリスティー作品の多くに言えること、あるいは、他のミステリ作品の被害者にも言えることだとは思いますが。
エミリイ・カヴェンディッシュは、愛だと思っていたものに裏切られ、落胆したその晩に苦しみながら死んだわけです。その苦しみを、死ぬ瞬間に立ち会った誰も共有していなかった(できなかった)のですから、悲しいです。
財産があっても愛に裏切られ命を落とすこととなったエミリイと、金回りは荒かったり心もとなかったり、また周囲の者とすれ違ったり衝突したりしながらも、新しい愛を見つけたりそこにあった愛を再認識した義理の息子たちとのギャップ。クラクラします。クリスティー作品では特にポアロが恋のキューピット役として大活躍するという一面もありますが、その前提には殺人事件があること、クリスティーはわかっててやってんだろうなあ、その残酷さとかも含めて。
まだまだ読むクリスティー作品があること、嬉しく思います(全体の20%ぐらい読みました)。