恩田陸『灰の工場』、物語の中で展開されるちょっとした小話の中でアガサ・クリスティ―の『ゼロ時間へ』という作品が登場する。『灰の工場』もまたゼロ時間に向かって時間が収斂していく話だ。
秋葉原事件の「ゼロ時間」を私は既に知っている。このノンフィクション(と呼んでいいのだろうか)は来るべきその瞬間に向かって時がひたすらに進んでいく、そういう構成になっている。
読んでる最中、ただただ息苦しかった。それは加藤自身が常々感じていた息苦しさだったのだろうか。で、あればなんと昏い沼の底なのだろう。
まるで小説みたいだ。そう思ってしまう心に釘をささねば、と思う。小説ではない。小説だったならどんなに良かっただろう。
この本は題名の通り加藤の軌跡をただただ記述していく構成になっていて、筆者の分析考察パートというのは非常に少なくなっている。それでいいと思う(別にそうでなくてもいいけれど)。というのも、その軌跡だけで読者は圧倒されてしまうからだ。
「女性にもてる」「好かれる」ということへの執着のようなものが気になった。それは普通の執着なのか、それとも度を越した執着だったのか。私としては「別にもてるだけが人生じゃねえだろ」と思ってしまうわけで、私個人の価値観のようなものと照らし合わせてみると、加藤との間には断崖のようなものが生まれてしまう。女にもてたいだけで、自分にも恋人ができるのだということ、それを証明したいだけなのでは?という辛辣な感想はどうしても生まれてしまう。加藤はわかっていたことかもしれないが。
言いたいことや伝えたいことをうまく表現することができなかった。言葉でなく、行動で示して周りにわかってもらおうという考え方でした。
これはちょっとわかる。子どもの頃の自分がそうだったから。でも結局、言葉にしないと伝わらないのだと思ってやめた。
肥大化する自意識は己も他者も滅ぼすものなのだと、この事件を契機に思ったのかは定かではないけれど、私はそういう考えをするようになった。
インターネットがなかったら良かったなあ。
加藤が殺傷事件を起こさない世界線の為にはどんな要素が必要だったかというのを考えたときに「ネットよ滅べ!」しか思いつかなくて敗北感がすごい。