8月2日の書庫

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辻村深月『傲慢と善良』感想

 辻村深月の『傲慢と善良』を読みました。

傲慢と善良

 

 かねてから読みたかったということを忘れていたけれど、体が覚えていたのか、本棚から引っこ抜いて借りた本です。借りてから「あ、そういえばこの本読みたかったんだっけ」ということを思い出しました。辻村深月は良くも悪くも「えぐってくる」話を書く作家なので、調子が悪い時に読むと崩れるぞーいという怖さはあったのですが、本当に駄目なら引き返そうと心に決めたうえで表紙をひらき、読み終えることができました。まあ、傷はついた。けれどそこまで深い傷じゃない。

 四十という台に乗ろうとする男と、三十半ばの女の、結婚をめぐる物語。

 『傲慢と善良』を説明するならそういうことになるのでしょうか。

 読者の多くは「何なの君たち」と架(男の名です)と真美(女の名です)に呆れたり憤ったりするのでしょうか。ちなみに私はそうだったのですが…。読みながらイライラしたし(この二人だけでなく、この物語に登場する人たちにはたくさんイライラさせられました)ばっかじゃないのと思った。でも、本人たちにとっては切実で、彼、彼女と自分がまったく違う人間だとも思えなかった。自己肯定感は低いのに自己愛は達者。グサリ。

 まずその点について書くのであれば、やっぱり「離れる」ってのが一番じゃないかなと思いました。自分から、離れるということです。真美は物語の後半で、この時ばかりは自分で決めてある行動に出ます。その行動によって彼女はいくつもの発見をするわけですが、行動中の彼女のモノローグは全然、脂こってりじゃなかった。自意識過剰でもなかったし世界に対してすごくフラットだった。自分から自分の外へまなざしを向けるということ。これは私が人生のどこかで思ったことです。自分のことばっかり考えても未来はないなあと思ったあの日。その点は自分の実感のようなものに紐づけて考えることができてすごく腑に落ちたところでした。

 あとは、この物語のひとつのキーワードとして挙げられるであろう「婚活」。まずは現在結婚ができるのは男と女という異性のペアであるということ(同性婚は認められていない)を念頭に置いた上で、婚活とは、とは、とは、とは???と、はてなばっかり。選ぶとは? 選ばれるとは? 選ぶ、選ばれる、でも結婚できない人もいる。いいや、この物語は結婚したくてもできない人の話は出てこない。そういう人たちは最初から存在していない。そういう物語であることに対して嫌悪も何もあるわけないが(物語だからね、悲しいことに)じゃあ、婚活で前提で共有されているのは、何? 恋愛感情なのかな。そこがよくわからなかったです。婚活する人は、恋愛をしに来ているのではなく、結婚しに来ているのだよね? どうして結婚したいの? 私にとってははてなばっかりのことについての深堀がまったくされないまま進んでいく(というか過去を回想するから「進んでいった」)婚活についていけない、ついていけないことは悪いことじゃないはずだけど、小野里さん(という人が作中登場します)に冷水浴びせられそうで嫌だなあああああああ、となりました。みんな結婚をぜんぜん疑わないよね、なんで?

 結局、頭で、脳でうだうだ考えていた前半の重さを、後半の身体性あるエネルギッシュな感じ、その加速が振り切る感じが良い読後感だったと思います。人間って、ほんと不思議。