江國香織の『東京タワー』を読みました。
再読。
初めて読んだ時の自分の感想を読み直したら「おま、結構いいこと書いてるやん」となる。過去の私はもう他人だ。
私はこの小説を旅のお供に選んだ。理由としては、それが江國香織の作品であれば何でもよく『東京タワー』はそもそも旅行前から読みかけだったし(確か)じゃあそのまま、という流れだ。東京ではない場所で東京タワーの話を読むのもいいじゃないか。
そう、話の筋を大体覚えているので(1年前に読んだものは流石に覚えていたらしい)驚くこともない。読みながら考えたことがあるならば、それは「小説における地理性」みたいなものだった。
私は「東京タワー」を知っている。赤の電波塔みたいなやつだ。実際に上ったこともあると思う。どこにあるのかも大体知っているし、どこからだったら東京タワーを見ることができるのかも大体知っている。それが読み手の私が知っている世界だ。でも、東京タワーへの理解度は当然人によって変わる。その違いが小説を読む上でどれくらい内容とか感想とかに作用するのかなということを考えていたのだった。
その人にはその人の地理性のようなものがある。空間の認識も違う。作家は作家の目で見る世界を描く。私はそれを読んで、作家との認識の差みたいなもの、土地勘の違いなんかのずれを楽しみながら読む。
ちなみに、これは日本の作家だからこそできる読みて、海外文学だともう全然よくわからない。その土地の情報とかが完全に欠如している。すべてをイメージでしか補えない。