8月2日の書庫

本の感想を書くブログです。

國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』感想

 國分功一郎先生の『哲学の先生と人生の話をしよう』を読みました。

 

哲学の先生と人生の話をしよう (朝日文庫)

哲学の先生と人生の話をしよう (朝日文庫)

 

 

 これは私がよく読んでいるブログの方が紹介されていたのですが、そういう本の出会いもあります。普段はあまり本を買わないですが、イベントも中止になっているし出かけられないし浮いたお金で本を買って読んでいるところです。

 國分先生は『中動態の世界』に次いで2冊目です。『暇と退屈の倫理学』はこの次に読むつもりです。

 

 人生相談本というのはなんでしょう、自分にとって切実なものとそうでないものに質問がおおよそ二分できてしまうわけで、読む際の濃淡が結構読んでいてストレスなのかもしれないなぁと思っています。ある程度同じ濃さならいいのですが(切実さの)ジェットコースターのように質問一つ一つで読むときの一生懸命さが変わるのがなんか嫌だ。

 ですが、人生相談本の面白さの一つとして、一貫して同じ人が異なる質問に対してどのように答えるか、その回答からある程度共通点を探し出す、というのはあると思います。この場合は哲学者の國分先生は様々な相談に対してどのように回答するのか、その答えに何か共通して存在する要素はあるのか?ということです。解説で千葉先生が指摘されていることがまさにそれだったわけです。

 読んでいてすごく参考になったのは、相談をより深く深く切り分けていく、という作業の重要性です。國分先生は「語られないことこそ重要」と言っていましたが、それは相談文からでしか情報を得られないからです。しかし相談する本人側には実に様々な要素が乱立していてそこから取捨選択して相談文を書いている。相談文を書いている本人側に私は位置しているわけだから「相談をより深く深く切り分けていく」必要なんてないのでは?と一見思われがちです。けれど、自分が本当に何を相談したいのか?というのは案外本人だってわかっていないものなのではないか?ということです。それを第三者に相談することで明確化するってのが相談の効用なのかなとも思います。

 普段自分が抱いている悩みや不安だって実に漠然としたものであって、深く切り分けできていない状態でうわべだけで「どうしようどうしよう」と困っているのであれば、一回落ち着いて考えてみる必要がある。その上で純度が高まった状態で相談できたらいいかなぁとも思います。

 

 私は「相談することができない」という相談が自分もわかるわーという内容でした。

 読みながら自分のことこれ言ってない?とドキリとしたり、そういう回答なのかーと驚いたり、色々なことを考えながら読めたと思います。